【取材の裏側 現場ノート】パラ競泳界に人生を捧げた〝水の女王〟が天国に旅立った。

 パラリンピックで15個の金メダルを含む20個のメダルを獲得した成田さんが5日、55歳の若さで亡くなった。何度も取材をしてきたレジェンドの早すぎる訃報には驚きを隠せなかった。

 13歳で脊髄炎を発症して車いす生活となった成田さんは、友人の誘いを受けて23歳で競技をスタート。1996年アトランタ大会を皮切りに、パラリンピックの舞台に4大会連続で立った。2008年北京大会後に一度は引退したが、21年東京大会の開催が決まると、14年に現役復帰を決断。東京大会には51歳で出場した。

 パラ競泳への情熱は年齢を重ねても全く衰えていなかった。その姿がいつも印象的で、一対一での取材時に理由を聞いてみたことがある。

 成田さんは14年に東京大会組織委員会の理事となった。東京大会に触れる機会が増えたことで、自身の気持ちが大きく変化したという。

「東京大会の開催が決まった瞬間にブエノスアイレス(アルゼンチン)のホテルにいて、日本が変わるチャンスだし、日本を変えないといけないなと思った。組織委員会の理事としていろいろな会合には参加した中で、五輪は盛り上がると思ったけど、パラはまだ知名度も低いので、もっとパラを盛り上げたいなと思った時に、選手に戻ろうと思っちゃったんですよ(笑い)」

 レジェンドの復活劇には多くのメディアが注目。東京大会を目指す成田さんの雄姿を伝える数々の記事は、パラ競泳を知ってもらう一つのきっかけになった。さらにラストレースとなった東京大会女子50メートル背泳ぎ(S5)では6位入賞。行動だけでなく、結果でも情熱を世の中に発信してくれた。

 ただ、まだまだパラリンピックの知名度は低いのが現状だ。どうしたらパラリンピックを盛り上げることができるのか。成田さんの取材に携わった一人として、魂を受け継いでいきたい。合掌。