【昭和~平成スター列伝】世界的人気を誇る米プロレスラーでWWE殿堂者のハルク・ホーガンさん(享年71)が7月24日に急死してから、約2週間がたった。偉大なレスラーの逝去には今でも各界から追悼の声が寄せられ続けている。
ホーガンは1977年にデビューして79年にWWF(現WWE)入り。80年に新日本プロレスに参戦すると「イチバーン!」のポーズで人気を得て、83年6月2日の「IWGP決勝リーグ戦」ではアントニオ猪木をアックスボンバーでKO。日本中に衝撃を呼んだ。その後はWWFでもブレークして84年1月にアイアン・シークからWWF世界ヘビー級王座を奪取。「ハルカマニア」と呼ばれる熱狂的ファンを生み、一躍トップに躍り出た。
この時期のホーガンのベストバウトは、やはり87年3月29日の祭典「レッスルマニア3」(ミシガン州シルバードーム)で“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントから初めてフォールを奪った試合だろう。当時ではインドアスポーツで最高となる9万3173人を集める「世紀の大一番」だった。
「決戦のゴングが鳴るや大巨人が攻め立てた。いきなりジャイアントキック。さらにチョップからヒップアタック。今度は全体重を乗せた人間爆弾だ。ホーガンの大ピンチに9万3000人の大観衆は『大ホーガンコール』。ホーガンはアメフット流タックル。両者の巨体がもつれてリング外へ。ホーガンはマットをはぎ取り、大巨人をコンクリートに叩きつけようとボディースラムの体勢に入ったが持ち上がらない。大巨人は鉄柱攻撃に出るが、ホーガンは間一髪、体をかわし逆に238キロを鉄柱へ。この自爆が明暗を分けた。大巨人は必死にホーガンをロープに振ったが、この瞬間をホーガンは待ち受けていた。猛烈な反動から必殺のアックスボンバーを叩きつけるや、一気にボディースラム。大巨人、史上初のピンフォール負けだ。人気絶頂のホーガンの快挙にシルバードームは興奮のルツボと化した。ホーガンは新たな勲章を胸にWWFの頂点に君臨した」(抜粋)
この勝利でホーガンは一気に世界的知名度を上げる。その後はWCWに移籍し96年に「nWo」を結成し「ハリウッド・ハルク・ホーガン」に転向。日本の蝶野正洋らの「nWoジャパン」を巻き込んで社会現象を巻き起こした。
2002年にはWWFに復帰して同年3月の「レッスルマニア18」では現ハリウッドスターのドウェイン・ジョンソンことザ・ロックと史上に残る激闘を展開。長くトップに君臨し続け、05年にはWWE殿堂入りを果たした。40年以上もWWEの象徴であり続けた功績は計り知れない。まさに米プロレス史上最大の功労者だった。(敬称略)












