【プロレス蔵出し写真館】猪木さんが危ない! 付け人の蝶野正洋がおっとり刀で救出に駆け付けた。
今から37年前の1986年(昭和61年)6月4日、北海道・室蘭市体育館でアントニオ猪木はメインの6人タッグで藤波辰巳(現・辰爾)、木村健吾(後に健悟)と組みアンドレ・ザ・ジャイアント、ジミー・スヌーカ、トニー・セントクレアー組と対戦した。
大巨人を集中攻撃し、ストンピングを2ダース近く叩き込み、アリキックの猛攻から延髄斬り。もう一発を狙ったが、将軍KYワカマツに足をすくわれた。即座に猪木の反則勝ちの裁定が下ったが、この判定に激高したアンドレはワカマツからムチを受け取り、猪木の首に巻いてヒザでノド元を圧殺した。
駆け付けた蝶野はアンドレの左足にしがみついた(写真)。
蝶野本人は、この写真を見て「(アンドレの)足デカ! 救出? (付け人なんで)とりあえず行っときました」と笑わせた。なぜかユーモラスに見えるのは〝黒のカリスマ〟と呼ばれる前の、〝いい人〟キャラのせいだろうか…。
同期の船木誠勝は、自身のユーチューブチャンネルで付け人時代の蝶野のやさしさと、優秀さを明かしている。
控室でアントンジョークを飛ばす猪木に無反応な船木に、蝶野は「フナちゃん、猪木さんのダジャレには笑ってあげなきゃダメだよ」
また、レオン・スピンクスとの異種格闘技戦を前に、沖縄で強化合宿を行う猪木に同行した蝶野と船木は、万座ビーチから名護に向かう国道58号線をランニングした(86年10月2日)。
途中から船木は、2人を追い越して駆け抜けた。すると蝶野は、「フナちゃん、(猪木さんがいいと言っても)追い越したらダメだよ」。
いずれも、猪木のいない時にさりげなく注意されたという。
蝶野は練習生のころから、取材陣にも気をつかう育ちの良さを感じた。新日本プロレスの道場で行われたシリーズ前の練習、特写などの取材後、「ちゃんこ食べていってくださいよ」。蝶野からそう声をかけられたことを覚えている。
今年2月21日、武藤敬司から「蝶野、オレと戦え!」と指名され、リングに上がって引退試合の最後の相手を務めた蝶野には誰もが驚かされた。まさに〝昭和のレスラー〟2人の面目躍如だった。
ところで、蝶野は現在「AED大使」として、自動体外式除細動器(AED)の啓発活動に力を注ぐ。
東京消防庁でAEDの講習を受けたが、きっかけとなったのは橋本真也、そしてリング上で亡くなった三沢光晴の死だという。その際、東京消防庁から広報活動としてAEDの啓発を手伝ってほしいと要請され、イベントに協力している。
還暦を迎える蝶野だが、まだまだ老け込むことなく話題を提供してもらいたいものだ(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る












