【プロレス蔵出し写真館】あのアンドレの笑顔が弾けた。

 今から38年前の1985年(昭和60年)5月19日、〝大巨人〟アンドレ・ザ・ジャイアント39歳の誕生パーティーが宿舎の東京・西新宿の京王プラザホテルで盛大に行われた。

 この日は新日本プロレスの「IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ」のオフ日。午後5時に25階の特別室に外国人レスラーが集合した。ボブ・バックランド、ディック・マードック、キングコング・バンディ、アドリアン・アドニス、トニー・セントクレアー、そして素顔のマスクド・スーパースター。

 東スポがアンドレの誕生日取材をするのは79年以来、2度目だった。その年も5月19日はオフ日。巡業先の新潟・長岡市東坂之上の焼肉ハウス「金剛苑」にスタン・ハンセン、トニー・ガレア、エル・カネック、チャボ・ゲレロ、アンドレのマネジャーだったフランク・バロア、そしてマサ斎藤、上田馬之助、レフェリーのミスター高橋、田中米太郎が集まり、33歳のアンドレと25日に35歳を迎えるビクター・リベラを祝福した。

東スポがプレゼントしたケーキにナイフを入れるアンドレ(85年5月、京王プラザ)
東スポがプレゼントしたケーキにナイフを入れるアンドレ(85年5月、京王プラザ)

 このときの誕生パーティーにはマスコミ各社が呼ばれたが、翌80年になるとアンドレはマスコミを遠ざけるようになった。そのため、京王プラザでのパーティーは6年ぶりの誕生日取材となった。

 独占取材に感謝を込めて東スポは直径39センチのケーキを用意。メッセージプレートにアンドレの顔イラストが描かれ、その周囲を「TOKYO SPORTS. POUR ANDRE BON ANNIVERSAIRE」とフランス語で誕生日おめでとうの文字を添えた特別仕立てだ。

 アンドレはそのプレートを顔の横に持ってこさせて笑顔を見せた(写真)。立てるロウソクの数が問題になるとマードックが、「彼は二十歳だよ。ジャスト20本だ」。そう指示すると、アンドレは満足そうにうなずいた。

笑顔で集合写真に納まるアンドレ(85年5月、京王プラザ)
笑顔で集合写真に納まるアンドレ(85年5月、京王プラザ)

 それにしても、なぜアンドレは取材を許可したのか?

「あのときは、故芳本(栄)カメラマンが、当時は喫茶室でしたか、ホテルの1階にあった『樹林』のウエイトレスさんとアンドレが友達だったのを知っていて、その方にお願いしたんです。アンドレの好きなカリフォルニアワインを用意するから聞いてみてくれないか、と」。取材したH記者は、そう舞台裏を明かす。

 そして、「アンドレは上機嫌でワインをグイグイいってましたね。コップを手に一口でゴクリ、ゴクリ。あの飲み方を見ると、試合前にワイン3本空けてたというアンドレの酒伝説もわかりますね。友達のウエイトレスさんが注いでいました。驚いたのは、アンドレがその方に何か冗談を言ったら『カク●カァ』と返したんです。あのアンドレにFワード的なスラングを言える女性が日本にいるのにはビックリしました。『このバカ野郎』的な返しで言ってましたね」。

 このスラングはマードックが試合中によく発していたので、プロレスファンには聞きなれた言葉かもしれない。

 アンドレはこの返しに大笑いだったという。「来年も日本でパーティーをやろう」。アンドレは終始ご機嫌でワイン5本、ビール15本のパーティーは盛り上がりの中で1時間後に幕を閉じた。

「冗談を言い、返しに大笑い。普段は見せない優しい姿を垣間見た」とH記者は回顧する。アンドレのプライベート写真、まして笑顔は貴重なショットとなった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る