【平成球界裏面史 近鉄編110】来日2年目となった平成14年(2002年)に17勝を挙げ、飛躍した近鉄・ジェレミー・パウエル投手。196センチの長身を生かし、当時の久保康生投手コーチの指導により〝魔改造〟を施された結果、破竹の勢いで成績を伸ばしていった。
平成15年(03年)は前年よりも、やや数字を落としたものの14勝(12敗)、防御率4・13という成績を残した。チームで規定投球回に達したのは岩隈久志とパウエルの2人だけで、パウエルはチーム最多の196イニング、岩隈は195回2/3を消化した。
このシーズン、近鉄は4月から6月までを3か月連続で勝ち越して首位を走るダイエーを2位で追撃。だが、7月と9月以降に負け越しを喫したことが大きく響き、最終的には3位となった。シーズン通算74勝64敗2分で貯金10という数字は決して悪くはない。
平成13年(01年)に大逆転の末にリーグ優勝を果たし平成14年(02年)が73勝65敗2分で西武に次いで2位。平成15年(03年)は前年の数字を上回ったのだものの3位となった。それでも、梨田監督4年目にして3年連続のAクラスというのは堂々の事実。この時期はクライマックスシリーズもなく、ここからの巻き返しはなかったが、次シーズンに期待を抱かせる内容だったことは間違いなかった。
平成15年(03年)に15勝しエースに成長していた岩隈久志と14勝のパウエルを2本柱として、ローズ、中村紀洋らからなる「いてまえ打線」は健在。課題であるクローザーの補強がなされれば悲願もかなうかという状況だったのだが、オフに事態は大きく変わっていく。
平成16年(04年)シーズンを前にしたオフ、51本塁打でキングを獲得していたローズの退団が決定。年俸交渉が決裂した結果とはいえ、長きに渡って主軸を担ってきた大砲の離脱は痛かった。この流れはのちの球団合併につながっていくのだが、まだ誰もがその状況を想像できない過去にいた。
近鉄との契約を更新したパウエルは平成16年(04年)も2月から宮﨑・日向キャンプに合流。来日4年目のシーズンを順調にスタートしていた。ただ、シーズン中の6月13日にオリックスと近鉄の合併計画が明らかになり、パウエル自身もペースを乱すこととなった。
前年よりもさらに数字を落とし24試合に登板し8勝8敗、防御率3・90。イニング数も170回2/3とやや減らすこととなった。
「目の前のプレーに集中するということは分かっている。しかし、外国人助っ人であるという立場上あり、来期以降のことは不安に思わないといえばウソになる」。当時、自身の去就に不安感を示してパウエル。結果的に分配ドラフトでオリックス・バファローズへ移籍することが決まったのだが、心境は複雑だった。
平成16年(04年)はMLBのモントリオール・エクスポズ(現在のワシントン・ナショナルズ)が消滅したシーズンでもあった。パウエルがドラフトされ在籍した球団だ。NPBでは所属する近鉄が消滅し、MLBではデビューしたエクスポズが消滅するという偶然。こんな思いをする選手はなかなかにまれだろう。















