巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が3日に肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。89歳だった。

 無償トレードで移籍した巨人で4番を務めたソフトバンクの小久保裕紀監督(53)が、故人とのエピソードを交えながら哀悼の意を表した。「プロ野球を国民的スポーツに押し上げていただいた、代表的な方だと思っている」。この言葉に、長嶋さんの偉大さが凝縮されていた。

 いつの時代も野球から離れたところにいる〝ライト層〟に、いかに魅力を伝えられるかが野球人気を高めるカギだ。「ファンあってのプロ野球。ファンの人が球場に足を運んでくれるから、われわれの職業は成り立っている。その根底を一番に体現された方だと思っている。そこの意志を引き継ぎながらやっていきたい」。

 小久保監督の心に残っているミスターとのやりとりがある。「プロに入る時に、ジャイアンツの監督が長嶋さんだった。当時ダイエーホークスかジャイアンツにするか逆指名で迷ったんですが、そんな中で1年目にかけてもらった言葉を非常に覚えています。1年目なのでプロでやっていけるか自信が持てない時に『長嶋さんはどうでしたか』と聞いたら、長嶋さん自身は『プロに入る前から、こういうプレーをすればファンに喜んでもらえるという姿をイメージできていた』とはっきりおっしゃられた」。自分がどういう選手になりたいのか。プロで生きていくスタイルをイメージすることの重要性を学んだ。

巨人での現役時代に、長嶋さん(左)からアドバイスを受ける小久保(2004年)
巨人での現役時代に、長嶋さん(左)からアドバイスを受ける小久保(2004年)

 一流選手から見ても、長嶋さんは抜きんでたスーパースターだった。小久保監督は、現役時代からホークスで王貞治球団会長(85)の薫陶を受けてきた。その王会長から聞いた話もまた、長嶋さんの自己プロデュース力のすごさを物語るものだった。「王会長は『この人には記憶では絶対に勝てない。だから記録では絶対に勝とうと思っていた』とおっしゃっていた。(長嶋さんは)ヘルメットを落とす練習をしていた。(遠征先の宿舎で王さんが)芝生の隙間から見たと。どうすればヘルメットが落ちるかという練習をしていた」。超一流の技量に加え、計算されたエンターテインメントがあった。

 小久保監督は、巨人移籍1年目の2004年に41本塁打を放った。長嶋さんのシーズン最多本塁打は39発。巨人の右打者で40本塁打を超えたのは、当時の小久保が初めてだった。「巨人くらいですからね、第何代ってつくのは」。巨人軍第69代4番は、重圧の中でプロ野球を国民的スポーツに押し上げた偉人のすごみをしみじみと語り、ミスターを偲んだ。