【悼む】「第2次長嶋政権」が誕生したのが1993年。私が東スポに入社した1年目のことだった。以来、長嶋さんには巨人担当記者として長らく取材をさせてもらった。あまりにも思い出がありすぎる。
真っ先に思い出すのは、長嶋さんの〝独占取材〟に成功した日のことだ。関西空港発の羽田行き最終便の搭乗前待ち時間。「メシでも食おう、腹減ってるだろ」と空港内のうどん店に単独で同行させてもらった。その時のやり取りは長嶋さんが監督を勇退した日の原稿などで記事にしたことはあったのだが、その当時は書かなかったくだりがある。それは…。
「監督でもチェーン店のうどんを食べるんですね」
「そりゃあ食べますよ。うん、食べる食べる」
「高級料理しか食べないとか、そんなイメージしかありませんでした」
「いやあ『長嶋茂雄』を演じることは結構、大変なんですよ」
現役時代から常にファンにどう見られているかを考え、数ある名言、珍言のたぐいの「長嶋伝説」も、すべては自己プロデュースによるものだったのか…。そんな裏側にある思いや苦労を直に聞けたことは、これが初めてだった。駆け出し記者ながら「この言葉は記事にしちゃいけないな」と思ったことを強烈に覚えている。
そう言いながらも長嶋さんは注文したキツネうどんには一切、ハシをつけずにしゃべりまくり。
「やっぱり食べないんじゃん!」と内心は思いながら、息子のような年代の自分に気をつかってくれたんだなあと感じたものだ。
その後も長嶋さんは、隣席にいた金髪にピアスの若者集団に「君たちはどこに行くの? 海外? 若いというのはいいねえ。オレもノンビリ海外旅行でもしてみたいよ」と盛り上がるなど、普段は見せない〝ミスタープロ野球〟とは別の〝素の長嶋茂雄〟を見せてくれた。長嶋さんとのあの時間は、長い記者生活のなかで、最高のご褒美だったと思っている。
そういえば長嶋さんが監督を勇退した2001年9月30日は雨が降っていた。そしてこの日も雨…。「球界の太陽」が沈んでしまった現実を今、改めて思い知らされている。
(93年~96年、99年~06年巨人担当・溝口拓也)












