【平成球界裏面史 近鉄編105】近鉄最後の助っ人となった男の名前、それは「マリオ」だった。平成16年(2004年)の6月に緊急来日し、近鉄バファローズに入団。7月からチームに合流した。別段、テレビゲームのキャラクターに似ているわけではなかったのだが、デビュー直後の活躍が鮮烈だったため「スーパーマリオ」とも呼ばれたスラッガー。だったが、トータルで見ると物足りない成績に終わり、1シーズン限りで日本を去ることになった。

「マリオ」は登録名でありフルネームはマリオ・アエラル・バルデス。1974年生まれで、近鉄入団当時は30歳だった。選手会長の礒部公一や4番の中村紀洋の1学年下の同世代選手を、近鉄はシーズン途中に緊急で補強する必要があった。

 開幕当初、ポストローズを期待されたバーンズが不振。7月後半からアテネ五輪で中村紀が離脱する事も決まっていたため、助っ人の力が必要だった。それに加えて6月13日の報道から端を発したオリックスとの合併騒動もあり、混沌とした中でマリオは来日した。

アテネ五輪壮行試合で本塁打を放った中村紀洋(2004年7月)
アテネ五輪壮行試合で本塁打を放った中村紀洋(2004年7月)

 マリオの経歴は93年MLBドラフト48巡目でホワイトソックスに入団し97年にメジャーデビュー。そのシーズンに自己最多の54試合に出場しメジャー初本塁打を含む28安打、打率2割4分3厘という数字を残した。その後はツインズ傘下のマイナーなどでプレーし、平成12年(00年)に移籍したアスレチックスで3年ぶりのメジャー昇格。平成13年(01年)にはメジャー2本目の本塁打も経験している。

 平成16年(04年)のスタートはメキシカンリーグで迎えたものの、近鉄からのオファーに応え来日に至った。ファンからの期待は高く打席に入る際のヒッティングマーチは、平成元年(89年)の近鉄リーグ優勝の立役者であるラルフ・ブライアントと同じ曲が採用された。

 7月2日のオリックス戦(大阪ドーム)から一軍に合流すると、マリオはその試合で華々しいデビューを飾る。6回、マック鈴木を相手に右越えソロを放つとこれが来日初安打、初本塁打、初打点。さらに翌日、3日の同カードでは延長10回一死満塁から右線にサヨナラ適時打を放ち、チームの連敗を4で止めた。

近鉄のレジェンド、ラルフ・ブライアント(1992年3月)
近鉄のレジェンド、ラルフ・ブライアント(1992年3月)

 ちなみにこの試合でカラスコが7回からの4イニングを無失点に抑えて4勝目を挙げている。が、この時点ですでに7敗している事実にも驚く。

 マリオは同月19日のロッテ戦(大阪ドーム)で満塁弾を含む2本塁打を放つなど爆発。チームも12−0で快勝した。このように7月は持ち前の打撃力を発揮し「スーパーマリオ」と呼ばれたが、8月に入ると急失速。8月28日に登録抹消されると、そのままチームを去ることになった。実際、このシーズン限りで近鉄が消滅してしまったため、マリオは近鉄最後の助っ人ということになった。

 最終成績は36試合に出場し27安打、9本塁打、29打点、打率2割1分3厘。アベレージはかなり低いのだが18四球を選んでおり出塁率は3割2分4厘、二塁打も9本記録しており長打率が4割9分6厘のためOPS(出塁率と長打率を加えた打撃指標)は8割2分と悪い数字ではなかった。

ローズの息子となごやかに遊ぶ礒部と中村紀洋(2003年7月)
ローズの息子となごやかに遊ぶ礒部と中村紀洋(2003年7月)