【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(32)】IWGPヘビー級王者になった俺はアントニオ猪木さんに勝つまではベルトを腰に巻かないと公言した。1988年6月26日の名古屋レインボーホールでビッグバン・ベイダーに勝利した際に一度は巻いてしまったんだけどね…。
そして迎えた8月8日、横浜文化体育館大会。ついに猪木さんが俺のIWGPに挑戦する日がやって来た。猪木さんが挑戦者決定リーグ戦を優勝して決まったタイトルマッチで、もし逆の立場だったらと思うと複雑な気持ちだったと思う。猪木さんからすれば師匠としてのプライドもある一方、ここで出ていかないと完全に俺にメインを譲ってしまったというらく印を押されてしまうからね。
しかし、そんなことを考えた自分が恥ずかしくなるくらい、猪木さんのコンディションが良かった。一体どこで調整してたのか。しかも、この試合はテレビ朝日がゴールデンタイムで特番を組んで、実況も古舘伊知郎さんが復活と完全にお膳立てが整っていた。
当時34歳で、猪木さんは45歳。なのに時間がたつにつれて猪木さんのコンディションが上がってきたのは驚いた。俺も不思議なくらい気負いがなかった。猪木さんの動きが手に取るように分かる。まるでリングの上から見ているかのよう。猪木さんも猪木さんで俺の動きを見る余裕もあっただろうし、戦っていて不思議な感覚だった。
棚橋弘至からは、新日本の道場では今でもあの試合の映像を選手たちが時折見ているという話を聞いた。自分で言うのもあれだけど、プロレスのすべてが盛り込まれた、教科書のような試合だったと自負している。
古舘さんが「2人の猪木が戦っています」という言葉を残したように猪木さんとの師弟関係の集大成と言ってもいいような時間だった。途中から勝敗のことなんて頭から抜け落ち、心地のいい感覚のまま、あっという間に60分が過ぎ去った。
フルタイム時間切れのゴングが鳴った瞬間、猪木さんは俺の上に覆いかぶさっていた。残り試合時間が少なくなるにつれて、引き分けだとしても絶対に最後は俺が攻めて終わろうと思っていたんだけど、さすがはアントニオ猪木だったね。主役を渡さないぞって。
結局最後まで、長州力や天龍源一郎のようにシングル戦で猪木さんに勝つことはできなかった。でもそれは猪木さんが唯一、俺にだけは「気を許さなかった」ということだと思っている。そして猪木さんに勝てなかったことが、後々までレスラーを続けるモチベーションにもなっている。
長州力、前田日明、ビッグバン・ベイダー…数々のライバルと戦ってきたけど、この試合だけは別格。自分の中で宝物と言っていい生涯のベストバウトだね。













