〝過激な仕掛け人〟の異名を取った昭和プロレスの重鎮・新間寿さんが、21日に死去した。90歳だった。プロレス界には、深い悲しみが広がっている。
故アントニオ猪木さんが旗揚げした新日本プロレスに1972年に入社し、猪木さんの右腕として活躍した。76年6月には猪木とモハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」を実現させるなど過激な仕掛け人として数々の名試合をプロデュースした。
新日本プロレスの永田裕志は、自身のXに「新間寿さんのご冥福をお祈りいたします。合掌」と投稿し追悼。サイバーファイト副社長でDDTの高木三四郎もXで「いつもお会いするたびにDDTや納谷幸男君、そしてご紹介いただいたMIRAI選手のことを気にかけてくださっていました。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と、重鎮の死をいたんだ。
昭和の新日本黄金期をともに支えたリングアナウンサーの田中ケロ氏は「大学生時、卒論でプロレスの事を書きたいと新日本プロレスに行った時最初に話を聞いていただき、リングアナになるきっかけを作って下さいました。東京の大会場では新間さんの挨拶のコーナーがありましたね。ご冥福をお祈り致します」とXにつづり、新間さんのおかげでリングアナへの道が開いたこと明かした。
新間さんは今年1月8日に都内のホテルで開催された、「東京スポーツ新聞社制定2024プロレス大賞supported byにしたんクリニック」授賞式に出席。車イスを使用していたものの元気な姿を見せ、ベストバウトを受賞した後藤洋央紀や、技能賞の青木真也と笑顔で2ショットに納まった。新間さんにとっては、これが最後の表舞台となった。












