ドジャース・佐々木朗希投手(23)が5日(日本時間6日)に敵地フィラデルフィアでのフィリーズ戦で、5回途中1失点の好投を披露した。前回登板までの内容や行動で米メディアに袋叩きにされてきたが、評価は一夜で一変。ようやく怪物の片鱗を見せ始めた右腕には、“メジャーのパイオニア”野茂英雄氏(56)の再来との声も上がっている。
メジャー3度目の先発マウンドに立った佐々木は課題だった制球面に一定の改善が見られた。投球の半数前後がボール球だった前回までとは打って変わり、この日のストライク率は60・3%(68球中41球)に大幅改善。2試合で計9個与えた四球も2個にとどめ、最速98・1マイル(約157・8キロ)を2度計測した。
初めて組んだバーンズとのバッテリーで佐々木は「安定して投げられたのは自信になった」と手応えを口にし、宝刀のフォークも冴えて強力打線を相手に3安打、4奪三振。勝利投手の権利を目前に降板を告げられたが、80球が目安となる次回登板での初勝利へ期待が高まる。
メジャー生活は波乱の幕開けだった。2戦とも自滅による早期降板で米国内では猛バッシングを浴びた。加えて前回登板は交代直後の行動も問題視された。すぐにベンチで味方の応援に加わらなかったことや、“涙目”になっていたことが中継映像で抜かれ「プロ失格」「子供」などと容赦なくこき下ろされ、「マイナー降格」まで議論の対象となった。
そんな逆風からのスタートは、野茂氏と酷似した部分もある。
「野茂だってとんでもない批判の中からはい上がっていった。背景は違うけど、朗希が置かれている状況はあの時の野茂と同じようなもの」
今となっては当たり前のように日本選手がメジャーでプレーするが、四半世紀前はまるで別世界だった。当時では異例の渡米を決断した野茂氏は日本中から「裏切り者」とののしられ、すっかり“非国民扱い”。近鉄のエースとして国内では名をはせていたが、異国の地でのプレーには困難も付きまとった。
年俸わずか10万ドル(約980万円=当時)のマイナー契約でドジャースに入団した後も勝ち星に恵まれず、初勝利を手にしたのは1995年6月2日(同3日)。実に7度目の先発でたどり着いたアジア選手初の快挙だった。これを機に呪縛から解き放たれたように怒とうの6連勝。最終的に13勝6敗、防御率2・54で新人王、最多奪三振のタイトルも獲得し、無名だった野茂氏の名前を全米にとどろかせた。
野茂氏がそうだったように結果で示せば“雑音”は消せる。さっそく、この日の試合後には「ドジャースネーション」が「批評家を黙らせた」と伝え、「クラッチポイント」も「彼は投げるたびに自信を深めている」と報じるなど風向きは変わりつつある。
“令和の野茂”は4度目の挑戦で初勝利をゲットできるのか――。












