【モデルボクサー 高野人母美 9頭身ファイターの告白(17)】2015年11月の世界初挑戦でKO負けを喫してから、再び公式試合をやるまで約1年の時間を要してしまいました。16年6月に予定されていた試合は、引退発言のせいで流れてしまい、エキシビションマッチとして行われたからです。
ようやく巡ってきた16年10月20日の再起戦はワンダーガール・シッサイトーン(タイ)との対戦でした。協栄ジムの金平桂一郎会長から「負けたら次はない」と言われていましたので、それこそ引退をかけた一戦となりましたが、2ラウンド(R)TKOで勝つことができました。
17年に入ると、東洋太平洋スーパーバンタム級王座を返上し、バンタム級へ転向する流れになりました。4月には元世界3階級制覇王者の亀田興毅さんをトレーナーに迎えて、14年6月にプロ初黒星を喫した因縁の相手、カイ・ジョンソン(T&H)と55キロ契約6回戦でリベンジマッチを行うことが発表されました。
13年11月の協栄ジム移籍後、亀田さんのことを、いろいろ知っていくうちに自分からお願いして実現しました。新たな取り組みを増やし、キツいトレーニングに刺激を受けながらやることもできました。聞いたところによると、金平会長が私に“カツ”を入れるために、亀田さんにトレーナーをやってもらうことを望んでいたみたいです。
実際、チーフセコンドをしていただいたカイ・ジョンソンとの再戦では1Rから積極的に攻めていけて、3Rにはカウンターが決まりダウンを奪いTKO勝ちとなりました。リベンジに成功して再起から2連勝。勝ってうれしかった気持ちがあった一方で「亀田さんがついてくれたのに負けるわけにはいかない」というプレッシャーがあったので、ホッとした部分もありました。
その時亀田さんは「トレーナーを引き受けたからには、何があっても世界チャンピオンにはさせないと」とコメントされていましたが、結果的には、私の力不足もあってかなえることができませんでした。
その年の10月6日、JBC(日本ボクシングコミッション)が新たに創設した日本女子バンタム級王座決定戦で吉田実代(EBISU K’s BOX)に判定負けとなってしまいました。以前お話ししましたが、前日計量で、黒ヒョウが竜を踏み潰している背中のタトゥーペイントを披露した試合です。
結果的に、この試合が協栄ジム所属ボクサーとして最後の試合になってしまいます。11月にジムを辞めて、JBCに引退届を提出したのです。当時、金銭的理由などがあって、徐々にジムに対する不信感が募っていました。これ以上、続けていく気持ちになれなかったのです。次回は、その点についてお話ししようと思います。













