【モデルボクサー 高野人母美 9頭身ファイターの告白(12)】プロボクサーとして10戦目にして、いよいよ世界ベルトに初挑戦となりました。2015年11月11日に東京・後楽園ホールでWBO女子世界スーパーフライ級王者のダニエラ・ベルムデス(アルゼンチン)と対戦することが9月7日に正式発表されました。

世界戦後の会見で涙(15年11月)
世界戦後の会見で涙(15年11月)

 もちろん「世界を取りたい」との野心に満ちあふれていましたが、状況が厳しかったのも事実です。相手は世界王座4度戴冠の強敵であることに加えて、15年6月にスーパーバンタム級で行った東洋太平洋の王座決定戦から2つ階級を落とさなければならず、過酷で厳しい減量が必要になります。計量後に増えた分を含めてトータルで約11キロも、体重を減らす必要がありました。

 過酷な減量を経て本番に臨んだせいか、思うように自分の力が出せません。1ラウンド(R)はジャブでリズムをつくろうとするも相手の圧で攻勢に出られず、中盤にはバックステップで脚がもつれ尻もちをついてしまいます。スリップ判定でしたが、どんどん世界王者のペースになっていきました。4Rには連打を浴びてしまい、腰から崩れ落ちてダウン。何とか立ち上がったものの、セコンドからタオルが投げ込まれ、4RのTKO負け。初の世界挑戦は惨敗に終わりました。試合後には鼻骨骨折も判明しました。

 悲願だった世界タイトルマッチに挑ませていただきましたが、見事に経験不足でした。あの時は自分にまったく余裕がなかったこともよく覚えています。やっぱり世界は甘くありません。試合直後、今後について「今は何も考えられない」と話すのがやっとでした。

 ただ、今だから話せる“敗因”もあります。実は、この試合を、好意を寄せていた男性が見に来てくれていました。芸能人とかじゃなくて、一般の方です。試合中に、その方が視界に入ってしまい、“恋する乙女”の気持ちが自分の中で生まれてしまって…闘争心が少し欠如してしまったと思います。なのでボクシングをやっている間、恋は難しいと思ったのも事実です。結局、その方とはお付き合いするまでには発展しませんでした。

 自分の中では「引退」の二文字がよぎっていなかったといったら、ウソになります。ただ、そのとき(協栄ジムの)金平桂一郎会長から「このまま辞めるのはもったいない」と言われていたこともあり、簡単には決断できませんでした。そういう葛藤がありながらも、16年に入り「周りにも悔しい思いをさせてしまった。大切な友人を悲しませたら悔いが残る」と気持ちを切り替えて、再びボクシングに向き合う覚悟を決めました。

 しかし、その年の5月、突発的に「引退」を表明してしまい、大騒動になってしまったのです。