【モデルボクサー 高野人母美 9頭身ファイターの告白(11)】 2014年6月に当時東洋太平洋スーパーフライ級1位だったカイ・ジョンソン(T&H)にTKO負け。プロ初黒星を喫して少し遠回りしてしまいましたが、その後の2連勝で巻き返しに成功しました。

ベルトを巻くと思わず涙の高野人母美(15年6月)
ベルトを巻くと思わず涙の高野人母美(15年6月)

 15年6月10日に東洋太平洋女子スーパーバンタム級王座決定戦に1位の選手として、2位のノーンブア・ルークプライアリー(タイ)と対戦することになりました。ようやくつかんだ初のタイトル挑戦です。当時、協栄ジムの金平圭一郎会長が「内容次第では世界戦も視野に入れていきたい」と話していたように、勝てばボクサーとしての未来が開けてくると思っていましたし、気合は十分でした。

 このとき、以前のスーパーフライ級から2階級上げていたので減量も楽でした。体も動いて序盤から攻めていけました。戦前に「集大成の一戦になる」と進退もかける発言をしていたので、自分より頭一つ小さい相手を倒してやろうと思っていました。前日計量時には「1ラウンドKOで勝ちます」と宣言していたこともありましたからね。

 でも経験ある相手(当時の戦績は11勝12敗1分け)にガードを固められ、終盤は逃げるように距離を保ってきたので、宣言通りのKOとはいきませんでした。確実にKOを奪って勝つという意味では、まだまだ足りない部分を痛感させられましたし、悔しさがありました。それでもジャッジは3者ともに80―71の大差をつけて、判定3―0で勝つことができ、プロ9戦目にして初のタイトル獲得です。ホントうれしかったですね。

 欲しかったベルトを腰に巻くと、思わず涙があふれてきました。改めて映像を見る機会があったとき、リング上で「正直、夢を見ているような気持ち。こんないい加減な人間ですが、ベルトを取ることができました。世の中、チャンスを生かすか、運命を変えるかは自分次第。ありがとうございました」なんて言っていました。

 当時、モデルなどの芸能活動も並行していまして、好奇の目で見られることもありましたが、これで少しはボクサーとして認められたかなとも思いました。東スポさんには当時、ボクシングにかけるこんなエピソードを記事にしてもらいました。自宅のエアコンは真夏でも使わないで暮らし、室温50度にもなろうかという自室のロフトで寝ているという話です。試合に勝てたのも、こういうことで根性を鍛えたからかもしれません。

 東洋太平洋チャンピオンになったときに「次は一つ上。世界を目指したい」との野望を語っていました。夢だったことに、やっと手が届くところまで近づいた気がしていたのです。そして15年11月11日、ついにそのチャンスが訪れます。