【モデルボクサー 高野人母美 9頭身ファイターの告白(7)】警察官になることをあきらめ、プロボクサーになることを決意し、2013年4月6日にデビュー戦を迎えました。初陣に向けては、とにかくやらなきゃという焦りとともに、毎日ジムに通って努力してきた自負があるので、どうしても負けたくないという気持ちがありました。
場所は神奈川にある米軍の座間キャンプ。パスポートが必要でした。それにチケットに関しても、本当は1枚1万5000円とかで売らなきゃいけないのに、山上哲也会長が3000円でくれたんですよ。当時は無知だったので3000円で売ればいいかなって。バーゲンセールのように友達みんなにチケットを売ってしまいました。自分でバスを貸し切ってみんなを連れていきました。
試合では、いろんなことをぶつけようと覚悟を決めました。デビュー戦で対戦したのは、最初に落ちたプロテストで対峙した相手(大空ヒカル)。殴り合って、やられていたからプロの舞台で「やり返したろう」と考えていたし「じゃあ、ここで決着つけようじゃん」って気持ちでした。無我夢中にストレート、フックを連打したところ、開始32秒ぐらいでKOしてしまいました。
そのときは本当にアドレナリン全開でした。今なら冷静に客観的に見られるんですよ、試合展開のこととか。「相手が来たな」とか「ここでちょっと休もうかな」とかを考えられるようになっていますが、当時はそんなことは一切ありませんでした。とにかく相手を「フルボッコする」ことだけで、先のことを考えず、もうガードなんて関係ありません。トレーナーさんからも「的(相手選手)に対してとにかく殴れ」と教えられていましたし、それだけしか頭になかったのです。
デビュー戦の勝利はうれしかったですね。ありがたいことに、いろいろなお仕事をさせていただく機会が増えていきました。そんな中、ボクシングに集中するというよりは、楽しくやっていたことがプレッシャーに感じてしまう瞬間もありました。当時所属していた(芸能)事務所からキャラ作り、理想の形に当てはめるために「こう言いなさい」みたいな指示もあったからです。
華やかに見える世界に身を置きながら葛藤を抱えてしまいましたが、そのとき「自分には何ができるだろうか」と考えました。そうすると、だんだんボクシング界を盛り上げたいという気持ちが芽生えてきます。そして、そのために何が自分にできるのだろうと思ったら「表現者になればいいじゃないか」との答えにたどり着きました。
その意向が後にお話しする計量パフォーマンスの原点になったのですが、その前に“モンスター”との遭遇を振り返りたいと思います。












