【モデルボクサー 高野人母美 9頭身ファイターの告白(8)】2012年に交際相手に殴られて大ケガをして「警察官になろう」と決意するも、試験に落ちてしまいました。それからプロボクサーになると決め、13年1月30日に2回目のプロテストで合格。いろいろなことがありながらも、同年4月のプロデビュー戦で勝つことができました。
初陣からさほど時間が経過していない13年5月19日、ボクシング界の大スターである若き日の“モンスター”に初めてお会いしました。現在、世界スーパーバンタム級4団体統一王者に君臨する井上尚弥選手です。
ボクシングに詳しい方ならご存じかもしれませんが、5月19日は「ボクシングの日」に制定されています。1952年の同日に、白井義男さんが世界フライ級タイトルマッチに勝って、日本人として初めて世界チャンピオンになったことを記念したそうです。
この年、東京・後楽園ホールでイベントが行われ、参加させていただきました。そこで20歳だった井上選手とリング上で、トークショーをやらせてもらいました。正直、緊張していて何をしゃべったのかもまったく覚えていません。調べてみたら、当時はまだ世界チャンピオンになる前でしたが、すごく“オーラ”が出ていました。
一方、自分の方はプロボクサーとして駆け出しで、山上ジムに所属していました。それなのにお声がかかったのは、直前に、以前の回でお話しさせていただいた、日本代表として出場した「ミスツーリズム・インターナショナル」で「ミスチャーム」を受賞したからだと思います。実際、ドレス姿でミスコン時のタスキもかけていました。
スター選手を前に、圧倒されたような気持ちになったのは覚えています。割と誰にでも気軽に話しかけて仲良くなれるタイプだとは自称していますが、とてもじゃないけど「ハ~イ、ワッツアップ?(初めまして。調子はどう?)」みたいな軽い調子ではいけません。だから、まともな会話もできませんでした。その後お会いする機会はありませんし、もうちょっと話しておけばよかったかなって思います。
井上選手は、その年の8月に日本ライトフライ級王座に就き、それからの大活躍は説明する必要はありませんね。実は、そのころ、モデル活動とプロボクサーを両立させようと頑張っていたのはもちろんですが、水面下で、同年の11月に移籍する協栄ジムのお話もちょっとだけ耳にしていたこともあり、気持ちはソワソワしていました。
このときは公になっていませんでしたが、協栄ジム移籍は、ボクシングキャリアの中でも転機になる出来事でした。ただ、自分が主体で動いていたわけではないので、当時は知らなかったこともありました。













