【モデルボクサー 高野人母美 9頭身ファイターの告白(9)】2013年4月にプロデビューを果たし、7月の第2戦はヨッカオ・ローエイシティジム(タイ)に判定勝ちで、内容に関してまったく納得できませんでした。リング上のインタビューで「申し訳ないです」と答えた記憶があります。ただ9月にはジプリン・デリーマ(フィリピン)にTKO勝ちを収め、デビュー3連勝となりました。

 その年の11月に山上ジムから、東京・新宿にあった協栄ジムに移籍しました。周りの大人たちが動いていたのはうすうす知っていたので「山上会長、私のこと売ったの?」って思っちゃうじゃないですか。それに「このジム(山上ジム)どうなっちゃうの?」とか、いろいろ考えちゃいました。山上会長が言うには「ウチのジムだと世界チャンピオンになると言ってても、そういうチャンスもなかなかないからな」とのことでした。

 でも移籍が決まったとき「なんでジムを移らなきゃいけないの?」という感覚ですし、自分の中に不安がありました。ただ環境面を考えると、山上ジムには専属のトレーナーさんがいなかったのですが、協栄ジムにはトレーナーさんがいて、しっかりしているジムだなって。そのとき、後にトレーナーとしてお世話になる亀田興毅(元世界3階級制覇王者)さんがいるジムということも知らなかったですし、金平(桂一郎)会長が「有名な方」というのも全然わからなかったのです。

高野(奥)は金平会長から激写される(13年11月)
高野(奥)は金平会長から激写される(13年11月)

 移籍したとはいえ、山上ジムと縁が切れたわけではありません。顔を出すこともありました。天笠(尚、東洋太平洋フェザー級王者)君と同じ日に試合もありましたし、やっぱりボクシングをやるきっかけをくれたのは彼ですからね。

 移籍に関しては、後日談があります。後になって金平会長にお会いしたとき「あのとき(移籍)どうだったんですか?」と聞いてみました。いろいろなジムから(山上ジムに)話があったそうですが「どうしても(協栄ジムに)来てほしいから、おまんじゅう持って桜新町の山上会長のところに通ったんだよ」と言っていました。移籍金は300万円だったとか。もちろん、当時は全然知らなかったです。

 ただ山上会長は19年に亡くなられてしまいましたが、奥さまは300万円について「受け取ってない。そんなのないよ」って言っていましたし、亡くなる前の会長からは「移籍金? そんなもんもらってねえよ。あいつ(金平会長)は頭金の30万円しか持ってきてねえんだよ」って聞いていました。実際は何があったのでしょうか。

 真相はいまだに謎のままなのですが、移籍が決まり、協栄ジムのボクサーとして金平会長とともに、世界チャンピオンを目指して頑張っていくことになります。