【プロレス蔵出し写真館】移動バスの窓から顔を出し満面の笑みを見せるのは反選手会同盟の木村健悟、越中詩郎、青柳政司と齋藤彰俊の4人。
笑顔を向けている相手はスーツ姿のザ・グレート・カブキ。皆、飛び切りの笑顔なのが印象的なひとコマだ。
今から31年前の1992年(平成4年)11月17日、新日本プロレス福井大会の数時間前、鯖江市内の反選手会の宿舎で会見が開かれ、WARを主戦場にしていたカブキとの合体が発表された。
越中は「打倒・天龍(源一郎)で気持ちが一致した。前々から連絡を取り合っていたが、今日、改めて握手をした。5人でやっていく」と話すと、カブキも「もともとオレはフリー。自分の目指していた生き方を彼らも望んでいた」と、声を弾ませた。
反選手会は新日本だけでなくWARにも参戦していて、天龍潰しで団結した5人はがっちり握手をかわし、所用で帰京するカブキは、福井市体育館へ向かう4人を見送った。
カブキの〝造反〟ともとれる行動に、WARのフロントは「カブキ選手はフリーですから会社側からは何も返答のしようがありません」とクールな反応。
カブキは同月23日の新日本、両国国技館に登場。WARの天龍、石川敬士、北原光騎組と相対する越中、木村、青柳のセコンドに就いた。
反選手会は翌93年に小林邦昭が復帰し、さらに本隊からは橋本真也を裏切る形で小原道由、レイジング・スタッフに見切りをつけた後藤達俊が加入し、メンバーは8人となった。
越中は11月15日、千葉・養老渓谷で合宿を行う際、ユニット名を平成維震軍に改めることを発表。
94年には青柳が「新格闘プロレス」を旗揚げするとして、新日本を離脱し、7人になったものの勢いは衰えず、2月5日の札幌ではWARと7×7のシングル対抗戦で4勝3敗で勝利を収め、翌6日の新日本本隊との7×7の対抗戦にも勝利した。
ついにはこの年、新日本の別ブランドとして独立し、旗揚げ戦を行うという快挙を達成したのだった。
さて、カブキの加入は、新日プロからのオファーでスーパー・ストロング・マシンとの交換トレードだったことが、後に明かされた。
事情通は「カブキが反選手会と合流した当時、天龍と仲がよくなかった。天龍というより、Tさんですけどね。Tさんとカブキが合わなかった。Tさんとは(阿修羅)原も合わなくて団体を去りました。カブキは新日本へ出向で行って、それから契約してWARとは切れました」と語る。
「越中は、カブキは大先輩だから『えー、マジかよ』って(笑い)。若いころ、カブキは酒癖が悪くて越中は怖かった。でも反選手会では先輩風をまったく吹かせず、越中をリーダーとして立てた。試合では藤波辰爾や盟友のマサ斎藤を相手にしてもバチバチやり合うなど新日本のファイトスタイルに溶け込みました。彰俊に受け身を指導するなど、まとめ役を果たした。彰俊はカブキを師匠と慕っています」(事情通)
カブキは94年7月に契約満了で新日本を去ったが、WARに戻ることなく石川敬士の東京プロレスを選択した。
引退後、「巡業が楽しかったね。みんなが集まって、ちゃんと仕事するしね」と、カブキは端的に平成維震軍を振り返っている(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













