【越中詩郎GET BACK~反骨のサムライ血風録~(13)】1985年の新日本プロレスは長州力さんたちが大量に抜けて全日本プロレスに移ったころ。坂口征二さんも試合を組むのが大変だったみたいで、はっきりは言わなかったけど「こっち(新日本)でやってくんねえかな」みたいな感じだった。

帰国した越中は馬場の宿舎を訪れた(85年7月12日、青森・八戸)
帰国した越中は馬場の宿舎を訪れた(85年7月12日、青森・八戸)

 最終的にハワイで「日本に帰って来いよ」と言われた。ハワイにはアントニオ猪木さんや藤波辰爾さんも来ていて「越中はこっちで頑張るから」って紹介され、JALのビジネスクラスのチケットを送ってくれた。

 翼にある鶴のマークを見たときは「これで日本に帰れるんだ」って涙がこぼれてきたなあ。あと涙がちょちょぎれる話があるんだけど、メキシコで頑張って、それなりに稼いだんだよ。でも、当時はペソからドルにも円にも替えられない。全部紙くずだよ。両替所でそれを知って「いま何て言った? コノヤロー!」だよ。

 こうして85年7月10日、俺は約1年3か月のメキシコ遠征から帰国した。まず坂口さんに言われたことが「(ジャイアント)馬場さんのところに、あいさつに行ってこい。頭を下げて、一発ぶん殴られてこい」だった。

 7月12日に新日本が取ってくれた飛行機で青森の八戸に向かった。宿舎のロビーでウロウロしていたら、ちょうど天龍源一郎さんが昼飯から帰ったきたところだった。事情を察してくれた天龍さんは「お前と馬場さんじゃ話にならないから」と一緒に部屋までついてきてくれた。

 ところが馬場さんは「今日の試合にお前も来い。(NWAインターナショナル)ジュニアのチャンピオンが小林邦昭だから試合が終わったら『俺が挑戦する』と言え。最終戦で選手権をやれ」と言うんだよ。「できません」と言っても聞く耳を持たなかった。「帰ってきて挑戦表明するのに何が問題あるんだ? お前は全日本の選手だろ? 坂口には何とでも言って丸く収めるから。逆に新日本に行ったらややこしいだろ?」というのが馬場さんの言い分。もう平行線だよ。

 天龍さんも「越中が言ってるのはそういうことじゃなく、最後のあいさつに来たんですよ。筋を通しているんです」と言ってくれたけど、馬場さんは「今日上がればいい。全部丸く収める」の一点張り。結局「ラチがあかないから一端、帰しましょう」となった。

 ロビーまで天龍さんが送ってくれた。そうしたら「入れとけ」ってスーツのポケットに何かを押し込んでくれた。タクシーの中で確認したら万札がごっそり入っていた。「野心を持っていていいんじゃないか。もっと大変だけど頑張れ」と後押ししてくれたね。

 馬場さんとは、それが最後の別れとなった。腹を割って言ってくれた部分があると思うけど、坂口さんを裏切るわけにはいかなかった。こうして俺は新日本に移籍するんだけど…。