中日の元投手で監督も務めた杉下茂さんが12日に都内の病院で間質性肺炎のため亡くなっていたことが分かった。享年97。16日、中日球団が発表した。

 日本で最初にフォークボールを投げたことから「フォークの神様」と呼ばれた杉下さんは、ドラゴンズのエースとして1954年の日本一に貢献。「あれだけの身長を持ち、手のひらの大きい人はなかなかいない」とチーム内でも言われており、大きな身体で風呂場に入ったときの音の大きさから「ドボン」という愛称もつけられたという。

 96年には当時の星野監督に要請される形で、中日の沖縄春季キャンプで臨時コーチに就任した。この時点ですでに70歳だったが「杉下さんは本当に元気ですごいわ。よく食べるし、いろんな意味でデカい人。あの元気さはわしらも見習わなきゃいかん」と明治大の後輩である星野監督も驚くほどのタフネスぶりを発揮。その確かな指導力から「97年以降も(球団サイドが)毎年、杉下さんの(臨時コーチとしての)予算を組むようになった」(元球団関係者)と春季キャンプを訪れるのが恒例となった。

江川(右)の投球を見守る長嶋監督(左)と杉下コーチ(1979年)
江川(右)の投球を見守る長嶋監督(左)と杉下コーチ(1979年)

 第1次長嶋政権の巨人でコーチを行っていたこともあって、杉下さんは中日キャンプだけでなく宮崎の巨人キャンプにも顔を出すこともあった。当時の中日は星野監督が巨人に激しいライバル意識を燃やしていたこともあり、他の中日OBなら掛け持ち指導などは考えられない時代だったが「杉下さんは別。(星野監督も含めて)誰も何も言えなかった。それだけ特別な人だった」(中日OB)という。

「杉下さんは90代になってもキャンプに来て選手を指導していたけど、背筋がピンと伸びて70代のころとまったく風貌も変わらない。〝あの方は本当に年取らないですよね〟とみんなが口にしていた」(元チーム関係者)。しかしコロナ禍のため、ここ数年はキャンプで指導することはなかった。

 中日選手会長の柳が「杉下さんには沖縄春季キャンプで特にドラゴンズの投手陣を中心に指導していただきました。個人としては、大学の大先輩でもある杉下さんに、プロ1年目からたくさん気にかけていただきました。フォークボールの指導をしていただいた際に、とても大きな手と長い指に圧倒された事を今でも鮮明に覚えています。もうお会いできないかと思うと、悲しくてなりません。杉下さんに、良い報告をしていけるようこれからも戦います。心よりご冥福をお祈りいします」とコメントしたように、ドラゴンズ関係者の誰もが尊敬していたレジェンドだった。