〝プロレスリングマスター〟ことノアの武藤敬司(60)が、21日の東京ドーム大会で38年の現役生活にピリオドを打つ。現役時代は全日本プロレス・四天王の一角として闘魂三銃士の武藤とシノギを削った元ノアの鉄人・小橋建太(55)は今、去りゆくライバルに何を思うのか。衝撃の初対面、2011年8月27日の東日本大震災復興支援チャリティー大会「ALL TOGETHER」(日本武道館)でムーンサルトプレスの競演が実現した舞台裏を明かす。

「お互いにヒザのケガで苦しんだからね。俺は先に引退したけど、本当にお疲れさまですという気持ちだよ」。小橋は、21日に新日本プロレスの内藤哲也を相手に引退する武藤をねぎらった。

 1984年10月に新日本でデビューした武藤に対し、小橋は1988年2月に全日本プロレスでデビュー。80年代後半から武藤、蝶野正洋、故橋本真也さんの「闘魂三銃士」が台頭し、90年代に入ると小橋、故三沢光晴さん、川田利明、田上明の四天王が全日マットの中心になった。

 オレンジのショートタイツにムーンサルトプレスを武器にする武藤を、小橋も意識せざるを得なかった。「年齢的には武藤さんと三沢さんが一緒で、よく比べられた。武藤さんは技もきれいで動きもいいし、プロレスラーに必要な部分を持っている選手だなと。いつかやってみたいと思っていたんだ」

 当時は両団体に交流がなく、常にピリピリムードが漂っていた。そんな中、馳浩の仲介で新日本から武藤と馳、全日本から三沢さんと小橋の4人が一堂に会す機会があった。小橋にとって、これが武藤との初対面。場所は高級焼き肉店の個室だった。「これからプロレス界を盛り上げていこう」という話だと思っていたが、見事に期待を裏切ってくれた。

「しょっぱなに武藤さんが三沢さんに『ギャラ、いくらもらってるの?』って聞いたんだよ。俺も三沢さんも『ええっ!? 最初の会話がそれかい!』って(笑い)。ちゃめっ気のある人だなって思ったよ」と懐かしんだ。

 2000年代に入り、小橋はノアに移籍。ついにリング上で武藤と対峙する機会が訪れたのは、09年9月27日の日本武道館大会だった。同年6月に死去した三沢さんの追悼試合で小橋、高山善廣組が武藤、田上組と対戦した。

 さらに11年8月の「ALL TOGETHER」ではタッグを結成し、飯塚高史、矢野通組と激突。両ヒジの手術により1年7か月ぶりに復帰したばかりだった小橋が試合前、向かったのは東京・有明にあった道場だ。

「安全マットを敷いて、一人でムーンサルトの練習をしたんだ。正直、復帰したばかりでやれる状態じゃなかったから。だけど、俺が跳んだら武藤さんが跳ぶと思っていたし、武藤さんが跳んだら俺が跳ばなきゃいけないと思っていた。その意味のタッグだったしね」

 試合は先に武藤がムーンサルトを決め、指で合図された小橋も続けて発射。月面水爆の使い手が競演を果たし、この年の「プロレス大賞」ベストバウトに選ばれた。

 13年5月には小橋の引退試合でも武藤と組んだが、唯一戦ったのは09年9月の1試合だけ。ただし心残りな部分がある。「俺が(06年に)腎臓がんになった後だったから、それが残念だった。体調が戻ってなかった部分があったから。できることなら全日本のときか、(03~05年の)絶対王者のときにやりたかった」

 武藤と同じように、小橋も20年に両ヒザの人工関節置換術を受けた。ふと、若手のころに人づてに武藤から届いた「ムーンサルトをやり過ぎるとヒザを壊すぞ」というメッセージを思い出す。

「武藤さんがプロレス界に残したものは大きいと思う。これからどう関わっていくのか楽しみ」。鉄人は第2の人生に期待をかけた。