不世出の名レスラー“燃える闘魂”アントニオ猪木さん(享年79)は様々な強豪と戦い、多くの名勝負を残した。意外だが“仮面貴族”ことミル・マスカラスとも日本プロレス時代の1971年3月6日、群馬県スポーツセンターでわずか1回のみシングル戦が実現している。
マスカラスはこの年の「ダイナミック・ビッグ・シリーズ」(2月19日~3月10日)に同じメキシカンのスパイロス・アリオンを伴って初来日。まだ“仮面貴族”とは呼ばれず、ニックネームは“悪魔仮面”だった(もちろん青森出身だったり性格がへそ曲がりだったわけではない)。
本紙によると来日した2月18日には「空港には数百人のファンがサイン帳とカメラを持ってつめかけ、空港ロビーに出てきたマスカラスはもみくちゃの大歓迎を受けた」。マスカラスは「覆面は16枚持ってきた。毎試合変えてリングに上がる。プロ入りしてちょうど8年目。私はスタートしてからマスクマンだった。(アジアタッグで激突する)馬場はウイークポイントだらけだ」と豪語している。
77年には全日本で「スカイ・ハイ」をテーマソングにするや爆発的なブームを呼ぶのだが、ロサンゼルスでの活躍が伝わり、すでに日本でも大人気を得ていたようだ。日本初登場の開幕戦(2月19日後楽園)では星野勘太郎とのシングル戦でフライングボディーアタックを浴びせ快勝。一気にシリーズの中心に躍り出る。
そして3月2日蔵前国技館ではアリオンと組んでジャイアント馬場、猪木の「BI砲」のインターナショナルタッグ王座に挑戦。1本目はマスカラスが猪木をダイビングボディープレス、2本目は馬場がアリオンを押さえ、3本目は猪木が卍固めで貴族を仕留めた。
この王座戦の遺恨を引きずったまま、3月6日群馬で猪木とマスカラスのシングル戦が実現。本紙は詳細を報じている。
「テクニシャン同士の激突は好試合となった。猪木がエビ固めを狙うとマスカラスはベアハッグの猛攻。千の顔を持つ男の褐色の肌が宙に舞い、フライングクロスチョップ2連発。一気にアトミックドロップで決めた。2本目は猪木がキーロックでスタミナを奪ってから必殺のバックドロップ、ブレーンバスター。それでも悪魔仮面は参らない。フライングクロスチョップから一気にダイビングプレスを狙ってきた。猪木は覆いかぶさって地獄のアバラ折り。悪魔仮面は2分以上耐えたが、結局ギブアップした。3本目、悪魔仮面はうなりを上げてボディープレス、しかし猪木は自爆させ、ブレーンバスター。マスカラスもここぞとばかりにフライングクロスチョップを放つが2発目を猪木にかわされ、場外へ。右ヒザを痛めてよろよろとリングに上がったがリングアウトのカウント20が入った」(抜粋)
マスカラスは再戦を訴えて翌年7月シリーズまで日本プロレスに4回来日するが、71年12月に猪木は日プロを除名処分となり、マスカラスは73年から馬場が旗揚げした全日本を主戦場とした。そのため二度と対戦する機会は訪れなかった。
仮にその後、再戦が実現しても両者のファイトスタイルを考えれば、名勝負になったかどうかは分からない。それでも昭和を代表する貴重な黄金対決だった。
マスカラスはいまだに引退を表明しておらず、プロレスを通じて日本とメキシコの相互理解を深めたとして、旭日双光章を受章。今年11月18日にメキシコ市のアレナ・メヒコでプロレス大会の開催に併せて叙勲伝達式が行われた。マスカラスは「日本デビューでの成功が、ファンから信頼や称賛を得る機会を与えてくれた」と感謝の意を述べた。最期まで壮絶に病魔と闘った猪木さんの分も長生きしてほしい。 (敬称略)












