【取材の裏側 現場ノート】アントニオ猪木さんが亡くなった。1日、心不全だった。享年79。
2016年にプロレス担当になってから度々猪木さんに取材をさせてもらう機会があった。とはいっても当時は参議院議員でプロレスや格闘技とは距離をおいており、国政を退かれてからは難病「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」との戦いが始まったこともあって、実際に対面して取材した回数は限られたものだ。それでも、晩年の猪木さんの様子を近くで取材することができたことは本当に恵まれていたと思う。毎回その存在感に気おされた。
亡くなってからは過去の取材メモを読み直したり、その指導を受けた選手たちや関係者に取材をさせてもらうことが多くなった。そこで改めて感じたのは〝アントニオ猪木〟という存在のスーパースターぶりだ。さまざまな人に話を聞くたび、毎回〝らしい〟エピソードに触れ驚かされてばかり。逆にがっかりさせられるようなスーパースターらしからぬ話に触れる機会はない。
ちなみに、7日のノア・後楽園大会では愛弟子のケンドー・カシンから「ラーメンを食べてから(食事制限中の)猪木さんに会いに行ったら『お前、ラーメン食って来たの?』って言われて。〝やべえ、匂いでばれた〟って思ったから『いえ、食べてないです』って言いました」との新たな証言を聞くこともできた。
話を戻そう。そんな猪木さんのスターたるゆえんを物語る「証言」をしてくれたのが鈴木秀樹だ。08年にIGFでデビューして13年の参院選の選挙活動も手伝った。ビル・ロビンソンの弟子として28歳で猪木さんが目を光らせるIGFのリングに立った鈴木は、当時に様子について「そのままのイメージでした。それはレストランとか一般の人がいる場所はもちろん、僕ら(選手)に見せる姿もそのままの〝アントニオ猪木〟でした。記者の方に対してもそうだったでしょ? 家では違ったのかもしれませんけど」と話す。確かに、報道陣の前でも常に猪木さんはスーパースターだった。
さらに「猪木さんにも昔は〝オン・オフ〟があったと思うんですけど、どこかでそれがなくなったんじゃないかと思います。ずっと〝オン〟というか。ずっと〝アントニオ猪木〟だったと思うんです」と続けた。闘病の姿を公開するなど、最後まで戦う姿を見せ続けた猪木さん。もしかしたら今、天国でも、スーパースター・アントニオ猪木としてリングに上がってるかもしれない。
(プロレス担当・前田聡)












