新型コロナウイルス感染拡大が続く現在でも、各団体は細かい観戦ガイドラインを設け、感染予防に徹している。特筆すべきはファンのマナーの良さだ。それぞれがガイドラインを守り、大きな混乱もないまま大会の規制も緩和されつつある。日本のプロレスファンのマナーの良さと秩序を守る姿勢は、世界でも群を抜いているといっていい。

 しかし昭和の時代は気の荒いファンも多く、生卵をリングに投げ入れたり、暴動や放火寸前の騒動が起きることもしばしばあった。その中でも1966年11月21日に東京プロレス板橋大会で起きた2000人のファンがリングを壊した暴動事件、通称「板橋事件」は、プロレス史上でもまれに見る不祥事とされている。

 東京プロレスは同年4月23日に豊登が日本プロレスからアントニオ猪木を引き抜く形で設立を発表。同年10月12日に蔵前国技館で旗揚げ戦を行い、猪木はジョニー・バレンタインと名勝負を展開したが、その後は集客難と経営難に苦しんでいた。

 同年11月23日付本紙では1面と中面で大騒動の顛末を報じている。

『寒波に震えた11月21日夜、東京・板橋の元都電板橋駅前で行われる予定だった東京プロレスビッグマッチ第20戦城北大会は2時間以上も観客を待ちぼうけさせて中止。興奮した観客が暴れてリングを壊し、警視庁が機動隊百数十人を動員して騒ぎを収めるプロレス史上前例のない事件に発展した。寒さをものともせず毛布や座布団を持って詰めかけた2000人のファンを激怒させたのは主催者(オリエント・プロダクション)の誠意のなさだった。試合開始時刻の午後6時30分になっても選手は誰1人姿を見せず、主催者側は「道路が混雑している。もう少しお待ちください」と試合を引き延ばしていた。しかし実際はその間に東京プロレスと主催者側で「試合をやってくれ」「やらない」の問答が繰り返されていたのだ。東プロの豊登会長によると、オリエント社は今までの興行不振から、ファイトマネーの未払い約500万円がたまっており、21日にこのうちの100万円、板橋大会のファイトマネーの内金100万円の合計200万円を支払う約束になっていたが、その金が支払われなかったために東プロ側が一方的に試合を止めてしまった、というのが“中止の真相”である』(抜粋)

 何ともずさんな話だが豊登の公私を混同した放漫経営は当時から業界では有名であり、10月12日に蔵前国技館で旗揚げして以来、予定していた試合の半数を中止している。この状況を本紙は『こういう事件はいつか起きると予想できないことではなかった。日本プロレスに対抗して生まれた東プロだけに意地もあり「とにかく試合をやろう」とプロレス興行に不慣れなプロモーターに試合を売ってきた営業姿勢が多数の試合中止を招いてきており、今回の「板橋事件」の根底の原因となっている』と分析している。

 翌22日には大田区体育館で猪木がバレンタインとUSヘビー級戦を行い初防衛に成功。細かい経営にはかかわっていなかったはずの猪木だが「申し訳ない気持ちでいっぱいだ。近く板橋で慈善興行を行い、お客さんから100円から200円をいただいて、それを全額慈善団体に寄付したい。今後は自分が直接興行にタッチして、板橋の不祥事を二度と繰り返さない」とコメントしている。

 結局、東プロは「板橋事件」が決定打となり67年1月31日の仙台大会を最後に短い歴史にピリオドを打った。猪木は同年4月に日本プロレスに復帰。猪木対バレンタインという名勝負を残したものの、東プロは経営上の「反面教師」として語り継がれる結末となってしまった。(敬称略)