【長嶋清幸 ゼロの勝負師(26)】1998年から阪神の一軍打撃コーチ補佐をやらせてもらえることになった。コーチとしては、根拠を持って選手に話してあげようと思った。現役時に自分ができたことを言っても根拠が分からないといけない。答えがないのがバッティング。どの選手にも同じことを言うのはあり得ないし、選手ごとに向き不向きがある。体が大きい、小さい、足が速い、遅い。その中でどんな打者になるのが理想なのかを考えてあげないといけない。小さい選手が大きいのを打とうと思ってやっても無理だから。

 打撃コーチは福本豊さん。福本さんもどちらかといえば天性の人。選手には分からないこともあったと思うから、そこは俺が「福本さんはこういうことを言いたいんやで」「だからこうするんやで」と補足していた。その年も最下位に終わったけど、何とか底上げをしていこうと必死に考えていた。

 98年オフ、吉田義男監督が退任され、野村克也さんの名前が挙がった。あの名将を招聘しようとしていると聞いて「マジか!」と思ったよ。すごく新鮮だった。ヤクルト監督の時、ロッテから阪神に移籍した俺に「お前は行く球団を間違えとる。本当はウチに来ないとあかんかったんや」と言われたことがあった。阪神移籍は金銭トレードだったけど、自由契約選手になっていたら獲るつもりだったと…。もしヤクルトに行っていたら野村再生工場で自分はどうなっていただろう。

 野村さんの考え方にはすごく興味があった。俺が一番、野村さんと話したんじゃないかな。というのも柏原純一打撃コーチの補佐なんでベンチには入れず、試合中はジャージーを着てベンチ裏でセンターからのモニターを見て配球表をつけていた。ネット裏のスコアラーが上から見るだけじゃ高低が分からない。アテにならんと言うんでセンターからの目線でコースや配球をつけ、1イニングの攻撃が終わるごとに野村さんのところに持っていった。

 そうしたら監督が気づいたことを、その場で手書きする。それを読めるのは俺しかいない。このバッテリーでこういうカウントになったら随所にこういう配球、傾向になる。なぜこのボールに手を出さなかったのかとか、そういうことを書いてくれる。ミーティングでそれを言うわけではなく、柏原さんと共有し、自分でもメモしていた。宝だったね。

 最初はその細かさに腰を抜かしたし、現役の時にこういうことが頭にあったらもっと打てたんじゃないかとも思った。俺の考えなんか、表か裏かの当てもんみたいだったから。選手に配った「野村の考え」は俺らがやってきた基本的なことだったし、考え方に変わりはなかった。でも試合の中での根拠に基づいた野村さんの分析力はすごい。衝撃だったね。

 弱者が強者に勝つためには頭を使わないといけない。それを選手が理解するのは無理な話で…。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。