【長嶋清幸 ゼロの勝負師(13)】 若いころは今では考えられない、厳しい指導の日々でした。昨年11月に亡くなられた古葉竹識さんは大監督であり、親父代わりでもあり、感謝してもしきれない。普段は一切笑わないから何とか勝って監督を笑わせようと思ってやってきた。ああ見えてめっちゃ怖くて、しょーもないミス、防げるミスをしたら手が出る、足が出る(笑い)。
小さいミスを見過ごしたらダメになっていくということ。ベンチに帰るとダッグアウトで蹴りかパンチが飛んでくるし、蹴りとか真剣だし、もう「これは来るぞ!」と分かるから。あの人、火鉢を蹴って自分の足を骨折したこともあるから。プレーの中での当たり前のことはコーチを通じて言うので、それができなかったら蹴りが飛んでくる。それでも感謝しているし、古葉さんがいなかったら今の自分はないからね。
コーチにも古葉さんの考えは徹底されていた。一度、大下剛史コーチに20発以上、ドツかれた。球宴休みのナイター練習で古葉さんはいない。着替えを5分でしないといけなくて、俺は4分ちょいで出たんだけど、あとに何人か残っていて、うち1人が5分を超えた。そうしたら何でか知らないけど、俺が呼ばれてグーでボコボコにされた。納得いかないし、殴られながらニラんでどんどん前に出ていったもんね。終わってユニホームをバッと破いて「やめた!」と言って帰っちゃった。報道の人もみんな見ていた。
ロッカーの荷物を全部ゴミ箱に捨てて寮に帰り、静岡の実家に電話して「俺、もう辞めるわ」と伝えた。新幹線の時間を調べたらもう終電がないので、仕方なく荷物をまとめ、その日は寮にいることにした。そうしたら…夜に寮のおばちゃんが「長嶋くん、電話よー。古葉監督よ」って。えーっと思って出たら、監督が落ち着いた口調で「兄弟げんかしてんじゃないよ…。明日行って、頭だけ下げろ」と。「は、はい。でも…」と言ったら「でもじゃないよ。俺が頭下げろと言ったら下げろ…」って。
理不尽だけど、監督に言われたらしょうがない。翌日「すいません」って頭下げたら大下さんも悪いの分かっていても認める人じゃないから「おお、ええよ」と。結局、長嶋は少々殴っても平気なやつということで見せしめにされた。平気じゃないやつもいるから大下さんもその辺をよく見極めている。その5分以上かかった選手を殴っていたらダメになったかもしれないけど、俺は叩かれても起き上がるやつと思われていた。ルール破ったらこうなるよ、というのを大下さんがその選手に見せたんだ。そこから大下さんとの絆も深まったね。
思えば二軍の時からいつも殴られ役で、何度も鼻血を流した。同級生で殴られたやつはいなかった。まあ、学生時代にやんちゃしてた分、そういうのに慣れていた。コーチの中では大下さんが一番怖かったけど、寺岡孝コーチもキレたらヤバかったねえ。
☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。












