ネットで誹謗中傷が蔓延する世の中、言葉は人の命を奪う凶器にもなる。1992年バルセロナ五輪男子マラソン8位の谷口浩美氏(60)は、ふとしたひと言で人生が激変した。ゴール直後に放った「コケちゃいました」という名言は、潔き敗者の「美談」として語り継がれる一方、思いもよらぬ十字架を背負うことになった。本紙は現在、宮崎大学で特別教授を務める同氏を直撃。28年前の五輪がもたらした宿命とは――。

「あの言葉は皆さんが育ててくれたんです」

 谷口氏は28年前、思わず放ったひと言で人生が変わった。現在は宮崎大の特別教授として週3回、教鞭を執る。マラソンイベント、講演会などの活動は新型コロナウイルス禍の影響で「年内すべて中止になっちゃいました。仕方ないですね」。その宮崎なまりと笑顔は、あの時と一緒だ。

 メダル候補として出場したバルセロナ五輪の男子マラソン。谷口氏は20キロ過ぎの給水所で後続選手と接触して転倒した。脱げたシューズを履き直し、必死に追い上げたが、8位に終わった。衝撃のアクシデントにも、ゴール直後の谷口氏は「途中で、コケちゃいました」と照れ笑い。この人柄がにじみ出た表情、負けを受け入れる潔さ、自らの失敗を笑える強さ――。これが日本人の心を打ち、同じレースで24年ぶり五輪銀メダルを獲得した森下広一から話題を奪ってしまったのだ。

 翌日、メディアは一斉に「コケちゃいました」を取り上げた。「8月11日に日本に帰り、そこから1週間ずっとワイドショーですよ。陸上を知らない主婦の方に顔を覚えてもらい、街でも『あ!』って気づかれるようになりましたね」

 異常な騒ぎは止まらない。どこへ行っても“あの言葉”がクローズアップされ、転倒シーンの質問ばかり。「現役時代はそこだけ特化され、良くは思わなかった」。多くは「美談」だったが、批判の声もついて回った。

「昔から『出る杭は打たれる』って言いますし、ねたむ人もいる。勝負の世界なのに、なぜ8位でって。僕はいい声のほうが上回っていたので救われましたけど」

 そして、ぽつりと「もしもコケたのが今のネット時代なら、誹謗中傷されていたかもしれません」とも漏らした。

「誹謗中傷で亡くなられた女子プロレスラーの方(木村花さん=享年22)がいましたね。そういうのを抱えているスポーツ選手って多いと思います。強そうに見えても実は弱い。すべてに強い人なんていませんよ。僕は時代背景に助けられました」

 周囲のおかげで、すべては「感謝」に変わった。いまだにイベントでは「谷口、転ぶなよ!」「今日は靴を脱がんのか!」とヤジられるが、今では「ちゃんと履いているので大丈夫です」と切り返すという。

「そんなことでカッカしても仕方ない。『コケちゃいました』と言えば、そこから砕けた話になる。そう思える年齢になったのかな(笑い)」

 五輪がくれた「宿命」には続きがある。順当なら来年春、宮崎代表の聖火ランナーを務める。コロナ禍で1年延期となった東京五輪は開催が危ぶまれるが「コロナで五輪は大変です。でも日本で開催する機会なんて、もう人生で巡り合えない。なんとかやってほしいです」。口調は穏やかだが、幸せをくれた五輪への強い感情が垣間見えた。

 ☆たにぐち・ひろみ=1960年4月5日生まれ。宮崎・南郷町(現日南市)出身。15歳で親元を離れて小林高、日体大を経て旭化成へ。91年の陸上世界選手権東京大会の男子マラソンで金メダル。92年バルセロナ五輪ではレース途中に転倒して8位、96年アトランタ五輪では19位。引退後は指導者となり、沖電気(OKI)、東京電力で監督を歴任。2017年から宮崎大学特別教授に就任。