【プロレス蔵出し写真館】73歳の〝狂乱の貴公子〟ことリック・フレアーが、7月31日に米テネシー州ナッシュビルで2度目の引退試合を行った。08年3月のWWE「レッスルマニア24」でショーン・マイケルズに敗れて引退しており、今回は2度目の引退だ。
 
 フレアーといえば、今でも記憶に残るハワイでの出来事がある。

 今から37年前の1985年(昭和60年)2月13日、新日本プロレスのアントニオ猪木、藤波辰巳(現・辰爾)、坂口征二、ザ・コブラらがハワイの興行(NBCホール)に参戦した。猪木は未知の強豪ハクソー・ヒギンズとシングルで対戦。この興行にフレアーも出場し、ケリー・フォン・エリックとNWA世界王座防衛戦を行った。

 フレアーは、NWAに加盟していた全日本プロレスの常連選手で、当時、新日本と全日本は外国人レスラーの引き抜きをめぐる敵対関係が再燃していた。

 そんな状況下で、猪木とフレアーが同じリングに立つことがわかり、気持ちが高揚した。狙いはツーショットだけと言ってもよかった。しかし、会場で絡むかどうかは不透明。「2人を会わせるしかない」。柴田惣一記者と考えが一致し、試合前日に対面させる計画を立てた。フレアーの宿泊しているホテルに猪木を連れて行く作戦だ。猪木なら断らないだろうと確信していた。

 12日、フレアーが泊まっているホノルルのシェラトン・ワイキキホテルのプールサイドに偵察に行くと、幸運にも日光浴をしているフレアーの姿があった。柴田記者が急いで猪木を迎えに行き、初対面が実現した(写真)。

 猪木の突然の訪問に、フレアーはたいそう驚いていたが、握手を交わして束の間の談笑。東スポ紙面には「猪木、フレアー約束NWA戦」「ハワイ会談で意気投合」「新日にも上がりたい」の見出しが躍った。

 後日、ジャイアント馬場はフレアーに事情説明を求めたようだ。そして、編集局長に怒りの電話がかかってきたと聞いた。

 ところで、フレアーはNWA、WWF(現WWE)、WCWの主要世界ヘビー級王座のすべてを獲得したが、最も輝いていたのはやはりNWA世界ヘビー級王者時代。長いリムジンで会場に乗り付け、複数の美女を引き連れて入場するシーンはヒールぶりが際立っていた。
 
 91年にWWFに移籍した際は〝世界ヘビー級チャンピオン〟を名乗り、NWA王者時代のベルト(NWA、WCWの文字は消されていた)を誇示してハルク・ホーガンとの抗争に突入した。そのため、WCWからベルト返還訴訟を起こされてもいる。

 さて、猪木とフレアーの初対決が実現したのは、95年4月29日、猪木が北朝鮮で開催した「平和のための平壌国際体育・文化祝典」で行われたプロレス大会の2日目。19万人の大観衆で埋まった平壌メーデースタジアムのトリを飾った。試合巧者同士の一戦は名勝負になった。

 しばらくして、猪木から19万人で客席がいっぱいの全景写真が欲しいとリクエストがあった。「いい試合でしたね」と告げると、「そう?」。猪木はさして興味はないというふうだった。

 ハワイでの初対面から10年たって実現した一騎打ち。モハメド・アリも同席して行われたイベントの会見(26日、平壌・高麗ホテル)で着席する猪木、フレアーを見て感慨深かったのを覚えている(敬称略)。