“プロレスリングマスター”こと武藤敬司(59)が、ドクターストップにより2023年春での現役引退を発表した。1980年代から2020年代まで、実に5世代にわたり王座戦線でトップを張り続けたレスラーは、ほぼ前例がない。
各時代で残した名勝負や偉業は数えきれない。その中でも光るのはIWGPヘビー級王座初戴冠(グレート・ムタとしては92年8月に戴冠)を果たし、王者として初めてG1クライマックスを制覇した1995年だろう。しかも同年10月9日東京ドームでは、もはや伝説となったUWFインターとの全面対抗戦で高田延彦との頂上対決を制している。当時32歳。まさに脂が乗り切った時期だった。
それでも“迷走期間”は長かった。2月3日札幌でスコット・ノートンとのIWGP挑戦者決定戦(当時の王者は橋本真也)で敗れると「プロレスが怖い。自信がなくなった」とスランプ状態に陥る。その後も格下相手に2連敗。2月8日仙台で「無期限出場停止」を宣言して、新日本マットから姿を消してしまう。ちなみにこの日はムタが降臨してエル・ヒガンテに勝利しているが、武藤は完全に新日本マットから姿を消した。
橋本、蝶野正洋とは“闘魂三銃士”と呼ばれ、デビュー当時から80年代後半には武藤は一番先にスターダムにのし上がったが、蝶野は第1回、2回(91、92年)とG1を連覇。ムタとして奪取した王座は、93年9月橋本に奪われてしまう。当時は今と違って武藤とムタは厳格に「別人格」とされていた。裏の顔・ムタが先行してしまい、武藤個人としては2人に先を越され、ジレンマを抱いていた感も強かった。
約2か月の長期欠場期間を経て、武藤は4月16日広島の天山広吉戦で復活するもフォール負け。この時点で5月3日福岡ドームでの橋本とのIWGP戦が決まっていた。久しぶりに公の場に姿を見せた武藤は、もみあげからあごまで無精ひげを生やし、実にワイルドな風貌に変身。敗戦にも実にすがすがしい表情で「もう大丈夫。自信が戻った。橋本に勝ってベルトをいただくよ」と吹っ切れた表情で堂々と勝利宣言を放ったのが印象に残る。
迎えた決戦では飛龍原爆からのムーンサルト2連打で橋本をフォール。破壊王のV10を阻止して、武藤本人としては初めてIWGPヘビー級のベルトを腰に巻いた。そして迎えた8月のG1クライマックス。Aブロック代表の武藤は、Bブロック代表の橋本と8月15日両国国技館の決勝戦で対峙した。
「どちらが勝っても初優勝。IWGP王者として初優勝を狙う武藤と、頂点から滑り落ちて雪辱を期す橋本がいた。5分、10分があっという間に過ぎ、武藤は側転エルボーから顔面砕き、卍固め。だがパワーでは橋本が上回る。ケサ斬りチョップから重爆キックは延髄斬りとなって武藤を襲った。20分、橋本がジャンピングDDTから垂直落下式DDT。トップロープからのエルボーは武藤が回避した。逆に月面水爆は回避される。何をすれば勝てるのか。額がパックリ割れ血染めとなった武藤には見当もつかない。だが結末は突然に訪れた。前進してきた橋本に武藤は鮮血をしたたらせてフランケンシュタイナー。そしてトップロープから月面水爆。一度は返されたが、2度目はガッチリ決まって3カウント。武藤がIWGP王座に続いてG1タイトルも獲得。見事にジンクスを破り“2冠王”に輝いた」
武藤は試合後「同じ時代に刺激を与えてくれるライバルがいて幸せ。蝶野も刺激を与えてくれる。5月にベルトをポンと新生・武藤敬司が取ったが、G1を取らなかったら腰が落ち着かない。これで次に進める」と自信満々に語っていた。その言葉通りに10月9日東京ドームでは全面対抗戦で高田に勝利。満天下に新日本のエースであることを証明した。
武藤はこの年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」MVPも獲得。文字通り、武藤一色の一年だった。この後も武藤は様々な形で日本マットの中央に躍り出て、全日本、W―1、ノアなどに所属して現在に至る。
95年の輝きのみならず、各年代で名勝負を残しつつ、昨年は58歳にしてノア・潮崎豪とのGHCヘビー級戦(2月12日武道館)でベストバウトを獲得した。プロレスリングマスターは、やはり不世出の“天才”であった。(敬称略)












