今年で〝還暦〟後楽園ホール初のプロレス大会で炸裂したジャイアント馬場の新兵器

2022年04月17日 10時00分

プロレス後楽園初進出のメインでヘルナンデスを振り回す馬場(東スポWeb)
プロレス後楽園初進出のメインでヘルナンデスを振り回す馬場(東スポWeb)

“格闘技の聖地”と呼ばれる後楽園ホールは、今年で60周年の“還暦”を迎える。1962年4月16日に「後楽園ジムナジアム」としてオープン。67年から「後楽園ホール」に名称を変え、多くの名勝負を生み続けて現在に至っている。

 日本プロレスが66年11月25日に開催したのが、初のプロレス大会となった。63年12月にプロレスの祖・力道山が死去すると、日プロの常設会場だったリキ・スポーツパレス(収容人数約3000人)が経営難となり、最終的には67年に閉鎖(売却)されたため、2000~3000人収容の中規模程度で交通の便もよい後楽園は、当時の日プロにとっては願ったりの会場だったのだ。

 本紙は記念すべき大会を「詳報後楽園決戦」「馬場新兵器背骨折り鳥人一蹴」の見出しを立てて、1面で詳細を報じている。メインはジャイアント馬場が“鳥人”ことルイス・ヘルナンデスを迎え撃った60分3本勝負だった。

「日本プロレスの後楽園進出第1戦は25日、東京・水道橋の後楽園ホールに2200人の観衆を集めて激闘を展開した。メインは世紀の一戦、“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックとのインターナショナル選手権を3日後に控えた王者・馬場がヘルナンデスと小手調べの一騎打ちに臨んだ。馬場はスタートからヘルナンデスを子供扱い。何をやっても通じないヘルナンデスが死に物狂いのドロップキックを放つと両手で払い落とし、一気に145キロのニードロップを叩き落として先制。2本目は怒り狂ったヘルナンデスがイスを持って場外から駆け上がったが、馬場は逆にイスを奪って脳天を一撃。グロッギーのヘルナンデスをネックブリーカー(首折り)を決めてブンブン振り回し、体を一転させる必殺の新兵器ジャイアントバックブリーカー(巨人型背骨折り)2連発でKO。2―0で見事なパーフェクトゲームをやってのけた」(抜粋)

 記念すべき後楽園初大会でエリック戦への「小手調べ」とはあんまりだが、それも当然だった。同シリーズは“鉄の爪”エリックが初来日。馬場のインター王座に連続挑戦(11月28日大阪、12月3日日本武道館)することが決まっており、日本中の話題を集めていたのだ。結局、馬場はいずれも大熱戦の末に両試合ともに2―1でエリックを撃破して防衛に成功した。

 くしくも12月3日の日本武道館大会は、プロレスが“格闘技の殿堂”武道館に初進出した大会でもあった。つまり後楽園還暦イヤーの今年は「プロレス武道館初進出」からも60周年を迎えることになる。後楽園と武道館、その後に多くの名勝負を生んだ会場に、プロレスが同じ年に初進出したのも何かの因縁だろうか。

 72年11月6日には全日本プロレスが初めて後楽園に進出。日プロが73年に崩壊すると興行的なしがらみも消え、新日本プロレス、国際プロレスも後楽園大会を開催する。70年代後半からは全日本女子プロレスも熱狂的な女子ファンを集めブームを巻き起こすなど、プロレス界にとってはなくてはならない存在となった。

 開幕戦は後楽園、最終戦は大会場という興行日程の主流パターンも、70年代以降に定着。形態を変えつつ現在に至る。あまりに多くの歴史が刻みこまれた後楽園は、これからも日本プロレス界の“聖地”であり続けるに違いない。

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