【鈴木ひろ子の「レスラー妻放浪記 明るい未来」10】世界最大のプロレス団体「WWE」で活躍したKENSO(ケンゾー=47)&鈴木ひろ子氏(46)夫妻による連載「レスラー妻放浪記 明るい未来」第10回は、〝プロレスリングマスター〟武藤敬司(59)が社長を務めた全日本プロレス時代を振り返る。鈴木夫妻が絶対に忘れられないと語るのが、東日本大震災が発生した2011年3月11日。武藤率いる全日本プロレス一行は当日朝、横浜から巡業バスで宮城・石巻へ出発予定だった。しかし、夫婦の愛犬ダンテが予想外の行動に出る。全日本、そして夫妻に何が起こっていたのか――。


 先日、新日本プロレスとプロレスリング・ノアの対抗戦がありました。この対抗戦で、ひと際輝きを放ったのが武藤選手。リングに立った武藤選手の姿には、心底敬意と感動を覚えました。

 橋本真也、蝶野正洋、そして武藤さんと言えば闘魂三銃士。ケンゾーは、このお三方にはお世話になり続けています。武藤さんはケンゾーが海外での活動から、全日本プロレスに帰ってくるきっかけをつくってくださった方。メキシコから帰国後、主戦場に選んだ全日本プロレスでは、武藤さんが社長を務めていました。そして、この帰国直後の時間は、私たち夫婦にとって忘れられないものになりました。2011年。この年に、私は東日本大震災を経験し、第1子を出産しました。

 3月11日、全日本プロレスは、宮城県の石巻で試合予定でした。当日の朝、横浜の道場からバスが出発することになっていて、ケンゾーはいつものように、愛犬のラブラドールレトリバーのダンテの散歩に出掛けました。

 散歩から戻ったら食事をして出発する予定で、妊娠中の私は大きなおなかで朝ごはんの準備をしていました。それが、その日に限ってなかなか散歩から戻らない。しばらくして戻ったケンゾーは、大きなダンテを抱え玄関で慌てていました。

「わけわかんないけど、ダンテが全然俺の言うこと聞かないんだよ!」

 その日に限ってダンテは何度も立ち止まり、振り返り、トイレをしたり、寄り道したりを繰り返す。別のルートに行きたがり、何をしても全く言うことを聞かない。揚げ句に家が見えたところで、一瞬の隙にリードを引っ張って走り出し、遠くまでは逃げないが、すぐそばでケンゾーをからかうように近づき、離れ、を繰り返す。最後は仕方なく、ラブラドールの巨体を両手で抱えて玄関に入ってきたのです。

「ダメだ、もう間に合わない。食事はいいや」

 ケンゾーは犬の毛がついたまま、着替えもせずにすっ飛んでいきました。ダンテがこんなに手がかかったことも初めてでしたが、何を隠そうケンゾーが遅刻をするのも初めてでした。ケンゾーは「体育会男子」で、どんな時も約束の30分前集合が当然。それがその日に限って30分を超える大遅刻でした。

 道場でバスに乗り込んだケンゾーはすぐにメールをくれました。「大遅刻。和田さんに怒鳴られた。これから出発」

 冷や汗をかきながら到着すると、バスは完全に「ケンゾー待ち」でした。和田京平レフェリーに怒鳴られながら結局、全日本プロレスのバスは1時間近く遅れ石巻に向かって出発しました。

 その日、私はダンテと船橋の自宅にいました。試合会場は私の母の故郷。多くの親戚が体育館に行くことになっており、本当にしばらくぶりの親戚から連絡が続き「赤ちゃん、大事にね」「産まれたら海を見においで」と午前中は電話で懐かしい声を聞いていました。

 午後にはあっという間に状況が変わりました。テレビのニュースではバスの目的地が被災している様子が映し出されていきました。テレビの映像にくぎ付けでした。それから丸2日、ケンゾーも体育館に向かった親戚の所在もわからないままでした。

「大丈夫、無事だよ」

 連絡がついたのは、彼の乗るバスが丸2日かけて横浜に戻ってからのことです。実は、ケンゾーらレスラーを乗せた全日本プロレスのバスは、予定より手前の名取あたりで大地震に遭遇していました。高速上で橋げたごと左右に大きく揺れ、尋常ではない揺れを感じ、そこから引き返したのです。本当ならその先の湾岸線を走っていたはずで、津波の被害を受けていたかもしれません。

 バスが道場に到着すると、武藤さんの奥さまが食事を用意してくれていました。

「お疲れさま。奥さんは大丈夫? 身重の体で心配させないでね」

 この時の言葉と温かい食事の味を、ケンゾーは今も忘れないと息子に話します。帰ったケンゾーに安堵し、ケンゾーは、バスの出発時刻を遅らせ結果的に津波の被害からバス一行を救ったダンテを抱きしめ、お礼を言い続けていました。

 私は半年後、無事に第1子を産みました。プロレスを観戦する予定だった親戚とは、あの朝の電話が最後の思い出になりました。武藤選手の試合を見ると、さまざまな出来事を乗り越えた強さを感じるのです。