ハイブリッドレスラー・船木誠勝(53)が、これまでに遭遇したさまざまな事件の裏側や真相を激白する大好評企画。今回は2015年6月のWRESTLE―1(W―1)退団事件に焦点を合わせる。退団会見を開いて円満退団をアピールしたものの、実際はベテランを整理するための事実上のリストラ。その舞台裏で苦悩する団体社長の武藤敬司と船木の心情に分け入ってみよう。
【THE FACT~船木が見た事件の裏側(11)】テレビショッピングなんかで「なんと! 何%ダウン!!」とか言ってるのをよく見ますよね。それを武藤さんが目の前でやったんです(笑い)。
忘れもしない2015年6月3日、契約更改の席。W―1の社長だった武藤さんが「ぶっちゃけ言うよ」と切り出しました。自分と武藤さんの間になぜか紙が置かれていて、それを武藤さんはパッとひっくり返したんです。紙には「50」と書かれていました。そして武藤さんは「50%、ダウン!」と(笑い)。テレビショッピングみたいな口調で、しかも真剣にやってて、おかしくなっちゃって笑っちゃいましたよ。
1円でも下がったらやめると決めていたので「やめます」と即答しました。ほかにも専属フリーとかワンマッチ契約とかいろんな提案がありましたが、W―1に残る選手にとっては邪魔なだけなんで、断りました。武藤さんは寂しそうな顔してましたね。
実は半年前にギャラダウンをほのめかされていたんですよ。最初の1年はよかったんですが、その後は客入りが伸びず、選手にチケットを売るノルマが課せられるようになっていました。そんな中、14年12月2日に武藤さんに焼肉屋さんに誘われ、こんなことを言われました。
「来年、ベテランのギャラを下げるかもってよ」
社長と言っても武藤さんより実質のオーナーの考えが重視されるのは言うまでもありません。武藤さんはそれを伝えるだけですから。このときにやめることを決めたんですよ。この会社に自分はあまり必要ないのかなと察しました。その後のやめるまでの半年は〝消化試合〟みたいなものでしたね。
15年6月18日、最後の後楽園ホール大会の後、武藤さんと飲んでるときに「今さらだけど、何でやめんの」と聞かれて(笑い)。寂しかったんでしょうね、いなくなってしまうのが。「まだ40台半ばだし、もう一勝負したいんです」と言ったら渋々わかってくれましたけど…。
翌19日に武藤さんと一緒に退団会見をやりました。新日本を退団するときに(アントニオ)猪木さんに開いてもらって以来、人生2度目の退団会見でした。そして6月30日に契約満了、フリーになりました。
そこから5年たった2020年、武藤さんはプロレスリング・ノアのマットに上がるようになりました。W―1は活動休止になっていて、武藤さんも晴れてフリーになっていたんですね。武藤さんはノアのブッカー、マッチメーカーに「船ちゃん呼べよ」と言ったらしいんです。それで呼ばれて、武藤さんとノアに出ているんですよ。
気にしてくれてたんでしょう。武藤さんは同期ですが年齢は上で、蝶野(正洋)さん、橋本(真也=故人)といて、自分は一番下の弟みたいな感じだったと思うんです、若いころから。だからやめるってなったとき、50%ダウンってときに「やめます」と即答して武藤さんはびっくりしたと思うんですよね。
武藤さんにはもっと早く「次の契約はしませんよ」と言ってもよかったんですけど言えなくて、酒を飲むと悪酔いして吐いたりしてました。つらかったですね。武藤さんも「50%ダウン」とか言わされて大変だったでしょう。「武藤さんが本当の社長なら残りますが、そうじゃないから」と言うと納得してましたが、深刻な話題でも武藤さんがやると面白くなっちゃうのは人柄なんでしょうね(笑い)。
【今回の事件】2007年の大みそかに現役復帰を果たした船木は新日本プロレス同期入門の武藤に誘われ全日本プロレスのリングに登場。武藤のW―1設立に行動をともにし「この団体が現役最後のリングになるよう、自分も柱のひとつになって支えていきたい」と話していたが、15年6月に「契約の条件が折り合わなかった」と退団。以後、フリーとなった。
☆ふなき・まさかつ 本名は船木優治(まさはる)。1969年3月13日生まれ、青森県弘前市出身。84年、新日本プロレスに入門。翌年に15歳11か月の史上最年少デビュー(当時)を果たした。89年、UWFに移籍。その後、藤原組を経て93年にパンクラスを設立。ヒクソン・グレイシーに敗れ引退したが、2007年に現役復帰。現在はフリーとして活躍。181センチ、90キロ。主なタイトルはキング・オブ・パンクラシスト、3冠ヘビー級王座。得意技はキック、掌底など。












