【昭和~平成 スター列伝】最強コンビ鶴龍86年解散 この瞬間に天龍革命が始まった!

2021年11月28日 10時00分

試合後のセレモニーで笑顔でトロフィーを掲げる鶴田。左隣の天龍はぶぜんとした表情(東スポWeb)
試合後のセレモニーで笑顔でトロフィーを掲げる鶴田。左隣の天龍はぶぜんとした表情(東スポWeb)

 全日本プロレス、暮れの祭典「世界最強タッグ決定リーグ戦」(12月5日、後楽園ホールで優勝決定戦)は、今年も熱戦を展開中だ。数々の名チームが長い祭典の歴史を彩ったが、1980年代中盤に日本陣営の核となりファンを熱狂させたのが、ジャンボ鶴田と天龍源一郎の“鶴龍コンビ”だった。

 活動期間は1983年から87年と意外に短いものの、84年にはスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディの“超獣コンビ”との競り合いを制して初優勝。ちょうど25年前の86年12月12日日本武道館では“鶴龍コンビ”がハンセン、テッド・デビアス組と史上初の同点決勝の末、リングアウト勝ちながらも2度目の優勝を決めた。

 天龍はこの年、全日本に参戦していた長州力率いるジャパンプロレスと激闘を展開して、同年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」MVPも初受賞する大活躍を見せたのだが、この試合後の表情は敗者のように不機嫌そのものだった。

 試合展開は天龍が孤立して鶴田が奮闘するというもので、鶴田は「優勝して何とか格好がついた。実は長州、谷津組に公式戦で負けた時に優勝は諦めていた。これで(長州組の)インターナショナルタッグ王座に挑戦できるね」と笑顔を前向きに語った。ところが天龍はぶぜんとした表情で「意気込みすぎてカラ回りした。とても満足のいく優勝とは言えない」と不満をあらわにした。

 当時の天龍は、内心で「なぜ俺がジャンボの次なんだ」という怒りに満ちていたのも事実。2度目の優勝で「終わり良ければすべて良し」というには、程遠い雰囲気を全身から醸し出していた。

 結局、鶴田と天龍は翌年1月24日(横浜)と2月5日(札幌)で、長州組のインターナショナルタッグ王座に連続挑戦。札幌で見事に戴冠を果たすのだが、その直後に王道マットを揺るがす大事件が起きる。長州率いるジャパンプロレスが全日本を撤退したのだ。さらに3月12日武道館ではロード・ウォリアーズに敗れ、長州らから奪った王座を失ってしまった。

 一気に選手層が薄くなって熱気も失った全日本は客足も減り、長州の撤退に対する天龍の落胆ぶりはハンパではなかった。ここで天龍は一世一代の勝負に出る。5月23日に「もうジャンボのお守りはしたくない」と“鶴龍コンビ”の解散を発表したのだ。

 すぐさま6月4日には遺恨が続いていた阿修羅・原とのコンビ結成を発表。「鶴田、輪島を本気にさせる。いつまでもジャイアント馬場とジャンボ鶴田の全日本プロレスじゃダメになる」と“革命宣言”を放った。同時に鶴田、輪島らを相手に激しく痛みの伝わるプロレスを主体とした“天龍革命”が始まった。当時、新日本プロレスに参戦していたUWF勢が「ここまでやるのか?」と驚いたほどだった。

 最強タッグ優勝からわずか半年で、全日本の風景は一変し、激しいものとなった。実は“鶴龍コンビ”最後の優勝は、新たな戦いへの“号砲”だったのだ。今年の最強タッグでも、同様のドラマが生まれることを期待したい。 (敬称略)

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