【龍魂激論】川田利明〈中編〉振り返る「天龍同盟」 全日に嵐巻き起こした伝説ユニットの真実

2020年06月13日 11時00分

川田(左)は天龍とのタッグで地元足利への“凱旋”も果たした(88年11月)

【天龍源一郎vsレジェンド対談「龍魂激論」】1980年代後半の全日本プロレスマットを熱くさせた「天龍同盟」とは何だったのか。ミスタープロレスこと天龍源一郎(70)がホスト役を務める「龍魂激論」に“デンジャラスK”こと元3冠ヘビー級王者の川田利明(56)が登場。13日に命日を迎えるノア創業者、三沢光晴さん(享年46)について語り合った前編に続き、中編では1987年の結成から90年の解散までジャンボ鶴田率いる「正規軍」と抗争を繰り広げた伝説ユニットの真実に迫る――。

 ――天龍同盟の師匠と弟子ですね

 天龍:いや、川田選手の師匠はジャイアント馬場さんでしょう。俺たちは仲間ですよ。

 ――川田さんが天龍同盟に合流した契機は

 天龍:俺と阿修羅原がジャンボ(鶴田)、(グレート)カブキさんと戦った試合(1987年8月、仙台)ですね。川田選手は全日本のセコンドだったのに俺たちに味方して、カブキさんに殴られて追い出されたんだよね。

 川田:1年1か月の海外修行から戻っても位置が変わらなかった。もう24歳だし、ここで目立たなきゃダメだと思った。

 天龍:あの時期は楽しかった。誰もが「隙あらば上へ」っていう雰囲気で、鵜の目鷹の目でみんな俺と原の試合をセコンドに就いて見ていた。ここで川田選手が入れば、俺と原と3人になって楽になる。そんな思惑もあった。その後に冬木(弘道)が入った。小川(良成)は俺の付け人だったのかな。

 川田:天龍さんと原さんは本隊と別行動だったじゃないですか。バスに乗れば楽なのに、わざわざ電車で移動して、毎日試合をしている相手とは絶対に「なあなあ」にはならなかった。そういう部分に刺激を受けたと思う。

 ――翌88年11月19日開幕の「世界最強タッグ決定リーグ戦」ではパートナーに大抜てきされた

 川田:日本武道館のメイン(12月16日の最終公式戦、対戦相手のスタン・ハンセン&テリー・ゴディが優勝)まで連れていってもらったことが転機になった。でも開幕戦の当日まで教えてもらえなかった。しかもメインで相手は(アブドーラ・ザ)ブッチャー、(タイガー・ジェット)シン組。あれは驚きました。

 天龍:えっ、知らなかったの?

 川田:全然知りませんでしたよ。会場入って、パンフレット見たら「何、これ?」って。

 天龍:その開幕戦の試合前に原が(私生活の乱れを理由に)解雇されたことが発表されたんだよね。馬場さんは東スポにも言わず、ギリギリまで俺のパートナーは伏せていた。実は前日に馬場さんから「明日からパートナーどうする?」って電話で聞かれたから「川田でいいですよ」と答えた。当然、俺は馬場さんから伝わってると思ってたから、そのままスルーしたんだが…。ブッチャーとシンも「何でこの若造なんだ」って怒っていたんじゃないですか。

 川田:どうやってついていこうか必死だった。でも最終戦は「同じ武道館でもメインはこんなに違うのか」って。入場時に自分まで心が躍る高揚感は初めてだった。メインでやってる人たちは、この気持ちを味わっていたのかと。

 天龍:馬場さんは最初「冬木か?」って聞いてきたんだけど、俺は自分と全然違うタイプのほうが面白いと思って「川田でいいです」と言ったんだ。タッチした時に全然違う展開になるから。実はあの時の天龍はしたたかでしたよ、フフフ…。

 川田:俺は110キロあったけど、冬木さんは海外から痩せて帰ってきたんですよね。でもあの人のプロレス頭はすごかった。

 天龍:その後は川田選手、冬木と組む試合が続くんだけど、思うようにいかない試合が出てくる。そういう時、俺は終わると控室で黙ってムッとしてスクワットしたりしたんですよ。

 川田:怒ってるなら俺たちに当たってくれればいいのに、天龍さんは物に当たるんです。控室の机やイスを壁にぶん投げたり。やり場のない怒りを見て、俺と冬木さんは本当に困ってました。

 天龍:それは大変だったね。あの時期はジャンボがガンガン来たから、勝敗より内容で負けるとプンプンしてた。そのうち2人が伸び伸びできず、気後れするようになってしまって(90年4月7日、高知で)天龍同盟を解散したんだよね。

 ――4月26日に天龍さんは全日本を退団。SWS旗揚げに向かう

 川田:でも天龍さんたちが出て行ったおかげで、自分たちのやりたいプロレスができるようになった。天龍さんと初めて武道館で見た光景が毎シリーズ続くようになった。馬場さんには「三沢(光晴)と川田たちがやるしかないだろ」と言われました。

(明日の後編に続く)

☆かわだ・としあき 1963年12月8日、栃木・下都賀郡大平町(現栃木市)出身。足利工業大附属高(現足利大附属高)では3年時に国体優勝。82年に全日本プロレスに入門し、同年10月4日千葉大会の冬木弘道戦でデビュー。3冠ヘビー級王座史上最多タイのV10を記録。2005年からフリーとなり「ハッスル」などでも活躍。10年6月から飲食店「麺ジャラスK」(東京・世田谷区喜多見6―18―7)を経営し、18年4月からプロデュース興行「Holy War」を開催。183センチ、110キロ。