【龍魂激論】川田利明〈前編〉“デンジャラスK”が永遠の宿敵・三沢さんを語り尽くす

2020年06月12日 11時00分

川田は高校の先輩・三沢(左)の誘いを受けて全日本に入団(82年3月)

【天龍源一郎vsレジェンド対談「龍魂激論」】2009年に死去したプロレスリング・ノアの創業者、三沢光晴さん(享年46)が13日に命日を迎える。ミスタープロレスこと天龍源一郎(70)がホスト役を務める「龍魂激論」の今回は、元全日本プロレスの3冠ヘビー級王者・川田利明(56)が登場。3回にわたってお届けする前編では、三沢さん、小橋建太、田上明との四天王として1990年代の全日本黄金期を築いた“デンジャラスK”が、永遠のライバルへの特別な思いを激白した。

 天龍:お久しぶり。2月に雑誌の対談でお会いして以来ですかね。

 川田:お元気そうで何よりです。

 ――試合中の事故で亡くなった三沢さんの命日が近づいた

 川田:(しばらく沈黙の末)本当にいい時代を駆け抜けて逝ってしまった。逆に言えばうらやましいけど、俺にはあの生き方はできない。あまりにかっこよすぎる、怖いもの知らずの生きざまだった。リスクなんて考えたことなかったと思う。でも天龍さん、今だったら(2000年6月の全日本)退団時のバッシングはすごかったんじゃないですかね。

 天龍:そうかもしれないね。俺は三沢が全日本を退団してノアを旗揚げした時に思ったんだけど、ジャイアント馬場さんが生きている時にそれをやってほしかったなと。当時の全日本ファンは、何をやっても三沢を叩かなかった。

 川田:たった1年しか違わないけど(足利工大附属)高校1年生からずっと一緒でした。レスリング部の合宿所に入った時は1年生は俺一人だったんですよ。2年生は7~8人いたけど。

 天龍:えっ、高校の合宿所から一緒だったの?

 川田:先輩たちの食事も作らなきゃいけなかったし“奴隷”ですよ。練習も厳しかった。ある有名強豪大学に練習に行く日がたまにあったんですけど「やった! 大学で練習できる」って喜ぶほどきつかった。大学のほうが全然楽だから。三沢さんは高校のころから要領がよかったですね。

 ――三沢さんの1年後に全日本に入門した

 川田:入門した当日に冬木(弘道)さんがパンツ一丁で2階から下りてきて「オウ、お前の部屋はここだ」って案内されてドアを開けたら、前夜に飲み過ぎた三沢さんがゲロまみれになって倒れて寝ていた。俺はその当日からその上に布団を敷いて寝た。確か自分で掃除したんじゃなかったかな。みんな一人部屋だったけど、俺と三沢さんだけが相部屋。誰も知らないところに行くよりは安心だった部分もあったけど、エアコンすらなかったなあ。

 天龍:俺はよく「三沢は上手、武藤(敬司)はうまい」って言うんだけど、本当にプロレスの教科書のような試合をしていたね。加えて川田選手を表現するなら「エグい」かな。面と向かった相手には敵対心むき出しで攻めていったからね。感情を出して攻める選手が少なくなったから、余計にそう思う。

 川田:三沢さんはあんなに何でもできる器用な人だったけど、リング上では感情をそのまま表情に出していました。

 ――10年間、四天王時代で全日本の黄金時代を築き、00年6月に三沢さんは退団した

 川田:もし三沢さんに誘われても俺は(ノアに)行かなかった。よく天龍さんとも話すんだけど、あそこで全日本を辞めるんだったら、俺は天龍さんが(1990年10月に)SWSを旗揚げした時に行ってますよ。面倒くさいというと変だけど、俺はうまくいってもいかなくても、今の店(麺ジャラスK)同様に一つの場所で一つのことをやり抜くタイプなんで。

 天龍:そうだよね。その時のほうが資金もガッポリあったしね。

 川田:天龍さんが辞めた直後、地方大会の後に飲んでからタクシーの中で、俺が「天龍さんが」って言ったら、三沢さんが「お前も行きたかったんだろ! そんな名前を出すんだったら向こうに行っちまえ!」って怒っちゃって。1時間か2時間、タクシーの中で大ゲンカですよ。運転手さんが降ろすに降ろせなくて、その間ずっと車を走らせていた(笑い)。

 天龍:いい話だねえ。俺が(05年に)ノアに参戦した時、昔の全日本を懐かしむ郷愁の気持ちで出たんだけど、やっぱりノアはもう三沢の団体で居心地が悪かったのを覚えてるよ。「タイガーマスク時代にあんなに楽しく飲んだのにコンチクショー、こんな男だったのか」と内心で思っていたんだ。今の話を聞いたら全部つじつまが合ったな、あのヤロー(笑い)。

 川田:俺はいまだに引退を正式に表明してませんけど、15歳からずっと三沢さんと同じ世界で生きてきた。その先輩が突然いなくなった時に「俺はこれから何を追いかけていけばいいんだろう?」と目標を失ったような気持ちになった。三沢さんが亡くなって1年間は数試合しかしなくなり、現在に至っています。

 天龍:まあ、もう二度と出てこない才能を持った人間ですよ。改めて命日に際して哀悼の意を示したいですね。(明日の中編に続く)

☆かわだ・としあき 1963年12月8日、栃木県大平町(現栃木市)出身。足利工業大附属高(現足利大附属高)では3年時に国体優勝。82年に全日本プロレスに入門し、同年10月4日千葉大会の冬木弘道戦でデビュー。3冠ヘビー級王座史上最多タイのV10を記録。2005年からフリーとなり「ハッスル」などでも活躍。10年6月から飲食店「麺ジャラスK」(東京・世田谷区喜多見6―18―7)を経営し、18年4月からプロデュース興行「Holy War」を開催。183センチ、110キロ。