松本香の死 そしてダンプ松本誕生

2019年12月31日 16時30分

クレーン・ユウ(右)と極悪同盟を結成。女子プロの常識を覆した

【ダンプ松本の壮絶人生「極悪と呼ばれて」:連載9】転機が訪れた。1982年冬、私はデビル雅美さん率いるデビル軍団の一員となり、ようやくヒール(悪役)への道を歩き出す。しかしどうにも悪役に徹しきれない。メインの6人タッグに抜てきされても、マミ熊野さんとデビルさんが本気でケンカを始めてしまい、オロオロするだけの時もあった。

 そんなうちに長与千種が大化けし始めた。翌年5月にはライオネス飛鳥とクラッシュギャルスを結成。8月にダイナマイトギャルズ(ジャンボ堀、大森ゆかり)と好勝負を繰り広げると、あっという間に全国的なクラッシュブームに火がついた。

 あれは今でも奇跡というか、化学反応が起きたとしか説明のしようがない。ずっと落ちこぼれで何度も引退勧告を受けてきた千種にしてみれば、ようやくラストチャンスをモノにしたわけだ。

「何をどうすればこんなに状況を一変できるんだ?」。私は祝福の心よりも悔しさと戸惑いを感じつつ、女性ファンの爆発的な歓声に応える千種と飛鳥をモニターで見つめていた。そして会社のある判断が私の背中を押した。

 クラッシュのライバルにはダイナマイトギャルズがいたものの、両チームともにベビーフェース。対抗できる強力な悪役チーム、徹底してファンから憎悪されるヒールが必要となる。そこに私と同期のクレーン・ユウに指名がかかった。デビル軍団は選手の離脱もあって解散の危機に陥っていた。

 これが最後のチャンスだ。ダメなら辞めるしかない。そう決意した私は84年1月、ダンプ松本に改名する。見た目がダンプカーみたいだったせいもあるし、何よりコールされた時のインパクトも絶大だったからだ。

 デビルさんがベビーフェースへの転向を決めたのも大きかった。クラッシュのライバルになるからには、徹底して日本中から嫌われる最高のヒールになろう。童顔の素顔では限界がある。改名初日、私は会社に無断で髪を金髪に染め上げて会場に入った。怒られるかと思いきや(松永)高司さん(全日本プロレス会長=故人)は「あっ、やっちまったか!」と絶句したのみだった。

 それまで金髪の日本人女子レスラーなど前例がなかった。さらには最近、最後の日本公演を終えたばかりの米国の超人気ロックバンド・KISSをモチーフにした毒々しいメークを施した。コスチュームは革ジャン、暴走族のようなチェーン…。先輩たちは当然嫌な顔をしたけれど、私は「やっちまったもん勝ちだろ」と内心勝ち誇っていた。83年3月、ユウとのコンビ名は「極悪同盟」に決定した。

 やる以上は、日本中の憎悪を集める悪役になるしかない。幼いころから他人から嫌われることを何よりも恐れ、笑顔を絶やさなかった「松本香」はこの時、一度死んだ。私は母に“遺書”を書いた。

☆だんぷ・まつもと=本名・松本香。1960年11月11日、埼玉・熊谷市出身。80年8月8日、全日本女子プロレス・田園コロシアムの新国純子戦でデビュー。84年にヒール軍団・極悪同盟を結成してダンプ松本に改名。長与千種、ライオネス飛鳥のクラッシュギャルズとの抗争で全国に女子プロ大ブームを巻き起こす。85年と86年に長与と行った髪切りマッチはあまりに有名。86年には米国WWF(現WWE)参戦。88年に現役引退。タレント活動を経て2003年に現役復帰。現在は自主興行「極悪祭り」を開催。163センチ、96キロ。

(構成・平塚雅人)

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