【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(6)】1994年は開幕から波乱のスタートとなった。4月9日西武戦(西武)で先発の野茂英雄さんが8回までノーヒット投球。9回に石井浩郎さんが3ランを放ち、野茂さんの偉業が現実味を帯びてきました。鈴木啓示監督はその試合は「野茂と心中や」と前日から公言していたし、僕の出る幕はない。最初から勝ち負け関係なしに心中だって思って見てました。投げないといっても一応、肩慣らしにブルペンには入っていたんです。もし、ボールが当たったとか、アクシデントがあったら困りますから。石井さんの本塁打が出て「野茂さん、もうすぐだな」と思って見ていたんです。

 するとその裏、先頭打者の清原和博さんに二塁打されて偉業がなくなり、四球などで一死満塁のピンチになりました。それでも心中だから代わることはないだろうと思っていたら、ブルペンの電話が鳴った。
「赤堀、準備してくれ」と。「え? 今日は心中じゃないんですか?」「一応、つくってくれ。頼む」とコーチに言われて準備をしたんです。

 一死満塁になって鈴木監督が出てきて僕の名前が告げられた。交代? マジ?と思いながら最後に数球投げてマウンドに向かいました。まったく投げるつもりがなかったのもあるし、その時はいつもと意識が違ったんです。抑えとして無失点に抑えるのではなく、勝てればいいと思って投げてきた。でもその時は「絶対に抑えなきゃいけない」と思ったんです。2点は取られてもいいや、と思えば抑えられたかもしれない。力んだ部分もあったし、それが最後、伊東勤さんへの抜けたスライダーになった。打球は左翼スタンドに飛び込んで逆転満塁サヨナラ…。

 場内が異様な雰囲気になり、僕は「やっちゃった~」しかないですよ。試合後、野茂さんと食事に行き「しょうがない。大丈夫だよ。気にすんな。明日からまた頑張れ」と言ってもらえました。監督とは…話していませんね。心中って言ってたのになあ。野茂さんも投げたかったと思うし、代わるつもりはなかったでしょう。石井さんは石井さんで本塁打した後に守備固めで交代となり、裏でバタバタあったみたいです。「なんで下げられるんだ」っていう。チームもおかしくなっていたんでしょう。

 開幕戦でそんな負け方をしたのは悔しかった。翌日の試合も勝っていたのに僕が7回から行って佐々木誠さんに3ランを打たれてしまい、2日連続で負け投手になっちゃった。もちろん今日は勝とう、と思って行くんだけど、ショックが残っていたのかもしれません。

 毎年、4~5月は八分くらいの力でやって、みんな疲れてくる夏場にピークを持っていこうと思っていました。その後は何とか立ち直って自分の投球ができましたけど、野球のメンタルの大切さをその2試合で痛感しましたね。

 ☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。