【豊田誠佑 おちょうしもん奮闘記(最終回)】俺の野球人生について語ってきた「おちょうしもん奮戦記」も今回が最終回。この連載を始めてから改めて感じるのが俺は中日ドラゴンズに入団して本当に良かったということだ。ドラゴンズは俺の夢をかなえてくれた球団だった。

「プロ野球選手になりたい」と思っていた俺を1978年にドラフト外で拾ってくれた。しかも36年も置いてくれたんだから本当に感謝しかないよ。82年にプロで初めて優勝したときのビールかけのことは今でもよく覚えている。ハワイのV旅行にはおふくろを連れて行ったんだけど似合わないムームーを着てすごく喜んでいたなあ。ドラゴンズのおかげで親孝行することができた。

 そして俺を多くの人たちと巡り合わせてくれたのがドラゴンズだった。現役時代は星野監督をはじめいろんなタイプの指導者の方に学ばせてもらった。個性的なチームメートたちと勝敗に一喜一憂し、コーチ、スカウト、昇竜館館長になってからは若手選手が成長する姿を見るのがとにかく楽しかった。

 今年3月に82年優勝時の主力投手だった三沢淳さんの訃報を聞いた。この連載に登場していただいた星野監督、高木監督、近藤監督、山内監督もすでに亡くなられている。俺のことをずっと支えてきてくれた女房も19年の年末にあの世へ旅立っていった。

 公表されていないので名前は伏せるが、少し前に元チームメートが亡くなったことを知った。俺よりも若く、現役時代は元気いっぱいの選手だっただけに驚いた。この年になるとプロの世界で一緒にやっていた人たちの悲しい知らせを聞くことが増えてくる。だけどドラゴンズで戦い、喜びも悔しさもともにしてきた思い出は永遠だ。中日ドラゴンズという存在がいろんな人たちと俺をずっとつないでくれている。

 中日ドラゴンズは低迷が続いている。今季も故障者が続出してBクラス。選手のやりくりで立浪監督もたいへんだろう。それでも名古屋や東海地区を中心にドラゴンズを熱烈に応援してくれているファンはたくさんいるんだ。ナゴヤ球場のすぐそばで居酒屋「おちょうしもん」を始めてから、名古屋の人たちがいかにドラゴンズのことが好きか、そしてドラゴンズが地元の人たちの生活といかにかかわっているかということを改めて感じさせられた。

 だからこそドラゴンズよ、もっと頑張ってくれ! もっとみんなを熱くさせてくれ! 12球団で一番クライマックスシリーズ出場から遠ざかっているチームになってしまっているが、それじゃダメだ。優勝できなくても毎年クライマックスシリーズに出るくらいにならなきゃ、そして応援してくれているファンの人たちに喜んでもらえるチームにならなきゃいけないと思う。ドラゴンズで36年間お世話になった俺は死ぬまでドラゴンズのことを応援し続けるよ。=おわり=

 ☆とよだ・せいすけ 1956年4月23日生まれ。東京都出身。日大三高では右翼手として74年春の選抜大会に出場。明治大学では77年の東京六大学春のリーグ戦で法政のエース・江川から8打数7安打と打ちまくり首位打者を獲得。「江川キラー」と呼ばれるようになる。78年オフにドラフト外で中日ドラゴンズに入団。内外野をこなせるバイプレーヤーとして活躍し82、88年のリーグ優勝に貢献した。88年に現役を引退後はコーチ、スカウト、昇竜館館長を務め2014年に退団。現在、名古屋市内で居酒屋「おちょうしもん」を経営している。