【豊田誠佑 おちょうしもん奮闘記(35)】2019年1月からナゴヤ球場のすぐ近くで営業を開始した居酒屋「おちょうしもん」は順調なスタートを切った。昇竜館館長時代の寮生だった又吉(現ソフトバンク)がSNSで紹介してくれたり、中日の小笠原慎之介がテレビのロケで来てくれたりして多くのドラゴンズファンに店のことを知ってもらえたのも大きかった。
1年目はランチもやっていたんだけど、これが週5日で100食以上売れるなど予想以上の売り上げだった。店をオープンするために初期費用もかなりかかっている。とにかく昼も夜もがむしゃらに働いた。
俺の実家はすし屋と中華料理店をやっていたから子供のころから出前や、洗い物、接客には慣れている。父親からも「高校野球終わったら、すし屋の修業をしろ」と言われていたし、もし野球をやっていなかったら学校を卒業と同時に飲食店関係の仕事に就いていたはずだ。お客さんといろいろな話をするのは楽しいし、まさに天職という感じがして毎日が充実していた。しかし…。
20年にコロナ禍が日本を襲って、状況は一変した。4月には愛知県でも緊急事態宣言が出されて、生活の維持に必要な場合を除く不要不急の外出、移動の自粛が大村愛知県知事から要請された。当然ながら店も営業できなくなってしまって本当に困ったよ。1年頑張ってきて「よし、これから稼ぐぞ」というときに何もできなくなってしまったんだから。
20年、21年そして今年前半は本当にコロナに痛い目に遭わされた。ようやく営業再開できたと思っても営業時間にしばりがかかっているし、お酒の提供時間も午後8時までと制限があったりした。サラリーマンのお客さんが仕事が終わって午後7時ころに飲みに来ても、午後8時でお酒が出せなくなっちゃうんじゃあ、「よし、一杯いくか」とはならないよ(ため息)。今はようやく収まったけど緊急事態宣言やまん延防止等重点措置がまた出されるのは勘弁してほしいね。
それでも営業開始から約3年半、何とか店を続けることができたのも常連のお客さんをはじめ、多くの人たちの応援があったからだ。ドラゴンズのスカウトや関係者も来てくれた。大野雄、又吉、福谷、田島、祖父江ら昇竜館の館長を務めていたころの寮生たちも店に顔を出してくれた。寮生たちが来てくれるのはやっぱりうれしいね。「あのころ昇竜館の門限が…」「あのときのドラゴンズは」なんて昔話に花が咲くのは本当に楽しいよ。
店の壁には来てくれたドラゴンズの選手やOBの人たちにサインを書いてもらっている。コロナに負けずにここまでやってきたんだ。まだまだこの店で頑張っていくつもりだよ。
☆とよだ・せいすけ 1956年4月23日生まれ。東京都出身。日大三高では右翼手として74年春の選抜大会に出場。明治大学では77年の東京六大学春のリーグ戦で法政のエース・江川から8打数7安打と打ちまくり首位打者を獲得。「江川キラー」と呼ばれるようになる。78年オフにドラフト外で中日ドラゴンズに入団。内外野をこなせるバイプレーヤーとして活躍し82、88年のリーグ優勝に貢献した。88年に現役を引退後はコーチ、スカウト、昇竜館館長を務め2014年に退団。現在、名古屋市内で居酒屋「おちょうしもん」を経営している。












