【越智正典 ネット裏】エンゼルスの大谷翔平の先生、現花巻東の監督、当時国士舘大学のキャッチャー、佐々木洋が横浜隼人の監督水谷哲也を慕って、ぜひ横浜隼人で教育実習を…とやって来たのは1997年である。教育実習――。実際に教壇に立って授業を受け持つ。

 前拓殖大学監督、元亜細亜大学監督、内田俊雄は教員志望の教え子が教育実習をさせてもらうと、それは感謝し、時間を作り、山形中央高校や高知の明徳義塾など各校を訪れ挨拶し、お礼を述べている。内田が名将といわれる所以である。教育実習はそれほどに大切なのである。この教育実習をすませると、大学で取得に必要な単位を取っていれば教職免許を交付されるのである。

 もちろん、佐々木洋も水谷に感謝し、卒業後、横浜隼人の先生になり、野球部コーチを務め、多くを学び故郷岩手に帰り花巻東の先生になるのである。

 あるとき、水谷がひょいと「スコアボードは監督の通信簿です」と呟いたことがあるが、彼が貫いた野球をとおしての選手教育は内野、外野の連係プレーであった。人と人との友誼と言ってもいいだろうか。

 そういえば横浜隼人の校歌はたたえている。

「友よ ひたむきに青春を生き抜こう 憂あれば語り合おう」

 着任から18年、2009年、横浜隼人は神奈川大会決勝で桐蔭学園を6対5で破って第91回の夏の甲子園大会出場を決めた。水谷哲也は「18年間は長かったとも、あっという間だったとも思いませんでした。毎日毎日が無我夢中でした」。

 横浜隼人の神奈川大会の成績は全7試合、逆転勝ち5試合、1点差勝利4試合、サヨナラ勝ち3試合である。横浜隼人の夏の県大会初出場は79年、1回戦で1対5で寒川高校に負けている。それを思うと見事な戦いであった。

 この91回大会に花巻東が岩手代表でやって来た。大会8日目第4試合、横浜隼人と花巻東が2回戦でぶつかった。1回戦は花巻東8対5長崎日大。横浜隼人6対2伊万里農林。感激の対戦だった。花巻東4対1横浜隼人。

 それから9年、水谷は佐々木にすべてを託し、令息水谷公省を花巻東に修行に送り出した。親許を離れた1年生のときには淋しいときもあったろうが、逞しく成長し、21年卒業、明治大学に入学入部した。

 明治大学野球部では、監督、兵庫県の舞子高校、84年明大卒、田中武宏と助監督、明大中野高校、87年明大卒、高校野球甲子園大会の名審判、戸塚俊美が相談し、選手を実家に帰すより合宿所で部活動を続けたほうが感染対策にいい…と判断して、東京府中若松町の内海・島岡ボールパークのなかの合宿所明和寮で、みんなでこの困難な時代と戦っている。激励に訪れた駿台倶楽部役員理事、元機動力野球の千葉敬愛高校監督、佐倉在住の村山忠三郎が驚嘆している。

「水谷公省のバッティングはピカイチです。“御大”(人間力の島岡吉郎監督)に見せたかったなあー」

=敬称略=