【山崎慎太郎コラム】立花龍司コンディショニングコーチが米国式トレーニングを導入

2021年08月19日 11時00分

野茂(右)は立花コーチと二人三脚でトレーニングに取り組んだ
野茂(右)は立花コーチと二人三脚でトレーニングに取り組んだ

【無心の内角攻戦(14)】コンディショニングコーチの立花龍司さんと野茂英雄は2人ともメジャーが大好きでしたね。立花さんはアメリカの最新式のトレーニングを渡米して学んでいたし、野茂は影響を受けたと思います。

 立花さんが1989年に近鉄に来てトレーニングが変わったんですね。それまでウエートトレなんかやらなかったですもん(笑い)。器具なんてベンチプレスくらいしかないし、ホコリをかぶってさびている。当時はどの球団もウエートはあまりやっていなくて、ウエート室なんて休憩所みたいな感じだった(笑い)。

 鍛えようと思ってやっていた人はほとんどいなかった。それが立花さんが来て器具がめちゃ増え、細かいメニューを個々に作ってくれる。立花さんってSなんで、めちゃしんどくて苦しんでるのを見るのが好きなんですよ。「いける、いけるー」って。どのメニューも紙に「MAX」と書いている。50キロから重しを上げていってどんどん死ぬまで…。

 登板の次の日は重いのを「MAX」。疲れているところにクソ重たいのをやって「超回復」というのを狙うと…。1日空いて、3日目で重さを減らして数を増やし、2日空いて登板。ランニングメニューにしてもただ何本走れじゃなく、やる意味、理論を説明してくれる。

 食事も先発陣は「ノーラン・ライアン式」をやっていました。ライアンの炭水化物、肉の取り方です。立花さんがアメリカで勉強してきたもので、肉を食べれるのは登板当日から次回登板の3日前まで。あとは麺類とパン、ご飯ですね。3日間しか肉を食えないことになるんですけど、ローテが変わると炭水化物地獄にハマることもあります(笑い)。家族にも協力してもらってね。でも体が軽くなっていく感覚はありました。

 そういう新しいことを野茂、吉井理人さん、佐野重樹、高柳出己さんとかが取り入れ、ベンチプレスで重いのを上げて「何キロ上がった!」って楽しくなっていったと思います。僕はウエートの楽しさがわからず、もうしんどくてしんどくて…。でもチームが取り組んだことで故障が出にくくなったし、結果に表れていたと思います。選手の意識がガラリと変わりましたよね。

 野茂の体はパワーがついてどんどん大きくなっていった。入団時はそこまでガチガチの体じゃなかったのにダルビッシュ有(パドレス)や大谷翔平(エンゼルス)みたいに筋肉量で増え、必要な脂肪もあったと思います。あのパフォーマンスを1年間やるのはかなりパワーがいるので、故障をしない体にならないといけない。野茂が投げるときはブルペン陣お休み、みたいな。

 野茂は4年連続最多勝の活躍を見せ、近鉄だけでなく、日本のエースになりました。でも、92年に仰木彬監督が退任、93年に鈴木啓示さんが来られてから変な空気になっていきました。

 ☆やまさき・しんたろう 1966年5月19日生まれ。和歌山県新宮市出身。新宮高から84年のドラフト3位で近鉄入団。87年に一軍初登板初勝利。88年はローテ入りして13勝をマーク。10月18日のロッテ戦に勝利し「10・19」に望みをつないだ。翌89年も9勝してリーグ優勝に貢献。95年には開幕投手を務めて近鉄の実質エースとなり、10勝をマークした。98年にダイエーにFA移籍。広島、オリックスと渡り歩き、2002年を最後に引退した。その後は天理大学、天理高校の臨時コーチや少年野球の指導にあたり、スポーツ専門チャンネル「Jスポーツ」の解説も務めている。

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