【伊藤鉦三連載コラム】WBCを控えたイチローさんのお手伝いをできた誇り

2021年04月21日 11時00分

第2回WBC決勝戦で決勝打を放つイチロー

【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(22)】第2回WBCを2か月後に控えた2009年のお正月、ナゴヤ球場隣の室内練習場ではマリナーズのイチロー選手がトレーニングに励んでいました。実はイチローさんはこの2、3年前から毎年正月になるとドラゴンズの室内練習場で元日から4日ぐらいまで新年の自主トレを行っていたのです。私は昇竜館副館長と施設管理担当を兼任していましたが、中日本社から「イチロー選手がお正月の間、室内練習場を使用したいとのことなので出てもらえますか」と頼まれていました。

 イチローさんはいつも午後1時ころに室内練習場にやってきて午後2時ごろから練習を開始します。お正月休みなのでドラゴンズの選手もほとんどいませんし、マスコミにも非公開の極秘トレーニングでした。08年には2日から練習を開始した山井がイチローさんにあいさつしていました。前年の日本シリーズで8回までパーフェクトピッチングしていた山井にイチローさんも「おめでとう!」と言ってましたね。

 あるときイチローさんが私にナゴヤ球場の中に入って見てみたいと言ってきたんです。そこで三塁側ベンチに入ってもらったのですが、イチローさんといえば子供のころから大のドラゴンズファン。思い入れのあるナゴヤ球場で打ちたくなったんでしょうね。「ここでちょっとバッティングしたいんですけどダメですか?」と聞いてきたんです。もちろん私に異存などあるはずもなくOKです。そこでイチローさんは練習パートナーに投げてもらってフリー打撃を行ったのですが、その打球を見てド肝を抜かれました。

 約50球ほど打ったのですが、反発力のあまりないティー打撃用の汚いボールだったにもかかわらず14球(その場にいた用具メーカーの人が数えていました)が柵越えです。しかも外野席の看板に3本も当ててました。室内練習場での打撃練習ではわからなかったのですが、低いライナーがどんどん伸びていく。長年ドラゴンズで大豊、福留、森野ら左のスラッガーの打球を見てきた私ですが、こんなにすごい打球は初めてでした。

「イチローさんがドラゴンズにいてくれたら…」。あの打撃を見て私は心の底からそう思いましたね。正直、引退した今でも代打としてなら十分いけるのではないかと思っています。
 09年3月23日、米国カリフォルニア州のドジャー・スタジアムで行われた第2回WBCの決勝戦。延長10回二死二、三塁の場面でイチローさんは韓国のリリーフエース・林昌勇からセンター前へ見事な決勝タイムリーを放ち、日本を連覇に導きました。あの瞬間、日本中が沸き立ったのはみなさんもよくご存じかと思います。

 翌10年の正月にもドラゴンズの室内練習場で練習を行ったイチローさんはWBCの決勝打について「ヘッドを返さずに残して打ったからセンター前へ運べました。あの球は引っ張っていたらセカンドゴロになってます。あそこで打ってなかったら(日本には帰れずに)今日はここにいなかったですね」と笑っていましたが、あの場面で打つのが本当のスーパースター。やっぱりイチローさんはすごい。さすがだなと思いましたね。

 12球団でドラゴンズの選手だけが参加しなかった第2回WBCですが、直前にほんの少しだけでも日本球界最高のプレーヤーのお手伝いをできたことは、今でも私にとって誇りとなっています。

 ☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2007年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、OBからの信頼も厚いドラゴンズの生き字引的存在。

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