【藤田太陽連載コラム】こんなことやるためにここへ来たわけじゃない

2021年01月26日 11時00分

理不尽さに耐えプロ野球へ

【藤田太陽「ライジング・サン」(12)】地元・秋田の公立校から社会人の名門・川崎製鉄千葉に入社しました。野球どころか練習のレベルにもついていけず、環境の変化も相まってメンタルも相当やられていました。

 入社からしばらく経過した5月くらいのことだったでしょうか。大阪の強豪・日本生命と練習試合に行った時、事件は起こりました。

 当時のヘッドコーチに「おい太陽、ちょっとボールペン買ってこんかい」と言われたんです。ダッシュでコンビニに走り、ボールペンを買って戻ると「アホか、ノートも買ってこんかい」と言われるわけです。

 当時の僕とすれば「なぜ、ボールペンを買ってこいと言われ、その通りにしているのに…」と理不尽な思いをした感覚です。ノートを買いには行きましたが、いつものダッシュではなく普通に歩いて帰りました。

「最初からノートとボールペン」って言ってくれよ。当時の僕の心には余裕はありませんでした。器用に生きられる人であれば、またダッシュして「行ってきますっ、すいません」ってやるんでしょうけど、僕にはできなくて…。

 その夜、僕は監督の部屋に行き「僕はこんなことをやるためにここへ来たわけではないので、辞めます」と告げました。そうすると当然、ちょっと、待て待てとなります。

 くだんのヘッドコーチには謝罪してもらったんですが、それは恐らく監督から促されてのものだったと思います。昔ながらの野球界というのか、理不尽が横行していた時代です。

 こういうのを人にやるのは、野球界だけではなく、普段でも絶対にダメだと思うんです。今は理不尽が通用しない時代になってきましたけどね。

 そんなこんながありながら、僕の社会人野球1年目は過ぎていきます。1年目は試合ではほぼ投げていません。1試合だけ、3イニングだけ投げた記憶があります。

 それまでピッチングすらさせてもらえず、ただひたすらに走っていた記憶が強いです。練習中、ずっと左右両翼のポール間を走るだとか、20キロのランニングだとか。でも、それはまだいいんです。それではなくその後がしんどかった。

 最年少ですから何から何まで雑用は自分の仕事です。グラウンド整備はもちろん、マウンドの整備や備品の準備など多岐にわたります。クーラーボックスのドリンクも朝4時に起きて作って、バスの前にセット。先輩の洗濯物も全部で十何人分やってました。

 社会人とあって、そういった雑用を自分でやる先輩方もいました。ですが、お前やっとけという人が多数派でした。そうこうするうちに7時過ぎには出社するので、逆算すると4時半には起きないと回らない。

 当時の感覚としては洗濯屋さんをやりながら陸上部をやっている、そんな感じ。改めて振り返るとそのころ、ちょっと僕は精神的にきてましたね。近ごろ、よく話題にもなるウツのような状態でした。当時、医師の診察を受ければそう診断されたかもしれません。

 環境としては良くなかったですね。当時の自分にはどうすることもできなかったですが。でも、それでも、後に僕はプロにスカウトしていただけたんです。理不尽ばかりではない。そこには支えてくれる人の存在がありました。

 ☆ふじた・たいよう 1979年11月1日、秋田県秋田市出身。秋田県立新屋高から川崎製鉄千葉を経て2000年ドラフト1位(逆指名)で阪神に入団。即戦力として期待を集めたが、右ヒジの故障に悩むなど在籍8年間で5勝。09年途中に西武にトレード移籍。10年には48試合で6勝3敗19ホールドと開花した。13年にヤクルトに移籍し同年限りで現役引退。20年12月8日付で社会人・ロキテクノ富山の監督に就任した。通算156試合、13勝14敗4セーブ、防御率4.07。

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