日本シリーズ初の完全試合を一瞬で消したオレ流継投の波紋

2020年05月21日 11時00分

日本一を決めた落合監督は本拠地で4度宙に舞った(2007年11月1日)

【球界平成裏面史(28) 落合中日53年ぶりの日本一の巻】平成19年(2007年)、セ・リーグ2位の落合竜は3位阪神、優勝した巨人とのCSに5連勝して日本ハムとの日本シリーズに臨んだ。中日は昭和29年(1954年)の日本一を最後に、6度進出した日本シリーズですべて敗退。球団創設から3シーズンしかたっていなかった楽天を除いた11球団の中で最も日本一から遠ざかっていた。

 平成16、18年のシリーズで西武、日本ハムに敗れている落合監督にとっては三度目の正直。今度こそ日本一の座を勝ち取りたいとの気持ちからか頂上決戦を前に、長男の福嗣さんに「これいいよ。何事も夢見て願うより、勝ち取る力が必要なんだ」と、ある言葉への思いを打ち明けていた。

「ねだるな 勝ち取れ さすれば与えられん」

 アニメファンならご存じであろう。ロボットSFアニメ「交響詩篇エウレカセブン」の中に出てくる有名なセリフだ。主人公の少年レントン・サーストンが絶望したり挫折しかかった時に、亡き父アドロック・サーストンが残したこの言葉によって勇気づけられた場面は多くのアニメファンに感動を与えた。

 ガンダム大好きの落合監督は「巨大ロボットに人間ドラマが加わったアニメはいい」と言い、エウレカセブンにもはまっていた。常に冷静沈着なイメージのオレ流だが、心の奥底には日本一への熱い思いが燃えたぎっていたのであろう。このフレーズが心に響いたようだ。

 そんな指揮官の思いに応えるように中日ナインはシリーズで躍動。1勝1敗のタイで本拠地に戻ると3、4戦目も勝って日本一に王手をかけた。そして11月1日、平成に行われた日本シリーズの中で最も賛否両論が湧き起こった試合を迎える。

 中日先発・山井は立ち上がりから伝家の宝刀スライダーが冴え、日本ハム打線を全く寄せ付けない。8回まで一人の走者も許さず中日1点リードのまま9回へ。日本シリーズ史上初の完全試合達成か――。プロ野球ファンの誰もがかたずをのんで見守っていたそのとき、ナゴヤドームにアナウンスされたのが「ピッチャー、山井に代わりまして岩瀬!」。まさかの“オレ流継投”に日本中がひっくり返った。

「マメというんだからしょうがない」(落合監督)、「4回にマメが潰れていた。中指の内側。変化球を投げていて握力も落ちていた」(山井)と試合後、交代の理由が明かされた。昨年4月に東海テレビで放送されたドラゴンズ応援番組の中でOBの山本昌氏が「山井が6回に(ベンチ裏に)着替えに来たときに指を見せてもらったんですが、ベロッとめくれていたんです。『お前これでよく投げられるな』と言ったら(山井は)『いや~、きついです』と言っていた」と当時の舞台裏を明かしている。もっとも、たとえ山井の状態が万全であったとしても落合監督ならあの場面、岩瀬をマウンドに送っていたかもしれないが…。

 最後を託された岩瀬は3人でピシャリと締め、パーフェクト継投で中日は53年ぶりの日本一に上り詰め、オレ流指揮官はナゴヤドームで4度宙を舞った。ところが、一部の評論家や識者の間からは「プロはみんなが見たいものを見せることが大事」「スポーツに対する冒とく」「つまらないことしますよね」と完全試合直前の山井をマウンドから降ろしたオレ流采配に対して批判の声が上がった。ネット上でも「個人の記録よりチームの日本一の方が大事」「いや野球ファンの夢を奪った」と侃々諤々(かんかんがくがく)の議論、論争が繰り広げられることとなった。

 だが、岩瀬が最後の打者・小谷野を二ゴロに打ち取った瞬間のナゴヤドームの盛り上がりは、その場にいた者にしか分からない。記者は平成9年の開場から平成20年までナゴヤドームで取材をしていたが、あれほど大きな歓声を聞いたのは後にも先にもない。本拠地を埋め尽くした竜党の誰もが笑顔、笑顔。「今日はここで決めろっていう感じの応援でした。ありがとうございます」。お立ち台でファンに頭を下げた落合監督に送られた地鳴りのような拍手と声援。継投か続投か――。53年ぶりの日本一の瞬間に比べればそんなことは大した問題ではなかったと思う。