【昭和~平成スター列伝】ドラゴンゲート3日の後楽園大会で72歳の“炎の飛龍”藤波辰爾が、因縁があるスーパー・ストロング・マシンの実の息子であるストロングマシン・Jとタッグを結成して望月成晃、ドン・フジイ組のアジアタッグ王座に挑戦。好勝負となったが、Jが望月の腕固めに捕獲されて藤波がタオルを投入。惜しくも王座奪取はならなかった。
1985年新日本プロレス熊本大会で藤波がマシンに対し「お前、平田だろ!」と唐突に正体を言及。素顔を隠しながらもマシンがマスクを脱ぎ捨てた事件は、今でも伝説になっている。
Jが勝てばアジアタッグ史上初の「親子戴冠」の快挙となったが、父親のマシンは一度だけアジアタッグ王座を戴冠している。長州力らジャパンプロレス勢と全日本プロレスに参戦していた86年にマシンは反旗を翻して独自の戦いを進めるようになり“ヒットマン”として孤闘を続けていた阿修羅原と合体。同年10月30日青森県営体育館大会で原とのコンビでアジアタッグ王座を獲得している。王者はマイティ井上、石川敬士組だった。
「勝者に喜びの叫びはなかった。アジアタッグ王座を獲得した新王者チームの原、マシン組はベルトを腰に巻こうともせず、早くも次の目標をブチ上げた。『今日の井上、石川組戦は単なる一試合。俺たちのターゲットは、12月の世界最強タッグで優勝することだ。俺とマシンの共通の敵である長州と天龍の首を狙う』(原)。この日がタッグ結成3戦目のマシン、原組。13分過ぎ、マシンが石川に殺人投げを食らったが、直後に原が石川のノドを砕き、マシンが間髪を入れずに回転エビ固めを決める好連係で3カウントを奪った」(抜粋)
しかし最強タッグでは連係がうまく作動せずに勝ち星なしの0点に終わってしまう。マシンは翌87年3月に長州らと新日本プロレスにUターンしたため、一度の防衛もないまま王座返上となってしまった。
今回のアジア王座戦は多くの夢を生んだ。試合後にJが「ひとまず親に代わって息子の俺が水に流してあの事件に幕を下ろそうと思います。もう一つ夢ができました。LEONA! いつか2人でベルトを巻こうぜ」とセコンドを務めた藤波の息子であるLEONAに共闘を呼びかけ、LEONAもこれに呼応。2世レスラーコンビによるアジア王座奪取の可能性も出てきた。
さらに72歳の藤波も手応えを感じたようで「歴史あるベルトを巻いてみたい」と再挑戦に意欲を見せた。王者となれば同王座の最年長記録(大仁田厚の66歳2か月)を大幅に更新する快挙となる。昭和と未来が交じり合った今回のアジア王座戦は、プロレスならではの胸躍る醍醐味に満ちた一戦となった。













