【プロレス蔵出し写真館】3月6日、大田区総合体育館で行われた新日本プロレス創立54周年記念大会「旗揚げ記念日」に、藤波辰爾(72)が息子のLEONA(32)とともに特別参戦した。
藤波は、2022年3月1日に日本武道館で行われた「旗揚げ記念日大会」にも出場。多数のOBと記念セレモニーに出席して集合写真に納まり、さらにオカダ・カズチカ、棚橋弘至とトリオを結成して記念試合に臨み、十分に存在感を発揮した。今回の参戦は4年ぶりとなった。
さて、藤波は数少ない旗揚げメンバーのひとり。1972年(昭和47年)3月6日、改装前の大田区体育館で行われた旗揚げ「オープニング・シリーズ」第1戦に創始者のアントニオ猪木、山本小鉄、柴田勝久、魁勝司(北沢幹之)、木戸修らと出場した。
藤波が当時を振り返った。
「旗揚げ戦は自分の中で大きいですよ。大田区体育館は建て替えられて新しくなりましたけどね。大田区体育館は、思い出あるところです。今でも旗揚げ戦は覚えてます。猪木さんが追放って感じで日本プロレスを出て、団体起こして。オレなんかは退団して、退団っていうか夜逃げだよね。猪木さんから声をかけられて、猪木さんのとこに駆け込んで…。オレはもう猪木さんに付いて行けば間違いないって思ってた。猪木さんに憧れてたからね。自分と山本小鉄さん、木戸さんなんかと3、4人で大工さんの手伝いをしながら、道場作ったんです」
「誰も知らない新日本プロレスに、お客さんを入れなきゃいけないってことで昼間は営業活動ですよ。売れるもんじゃないんだけど…。道場の周りとか、いろんなとこに飛び込み営業でチケット売ったことを思い出します。夜はオレと北沢さんが、浜田(広秋=後のグラン浜田)に運転させて、電柱にポスターを貼って。昼は営業活動、夜はポスター貼りでしたね」
ところで、旗揚げ戦を告知する宣伝カーのテープの声は、猪木夫人の倍賞美津子と姉の倍賞千恵子ということが知られている。
「テレビとか新聞とかあんまり掲載してくれないと思ったから、宣伝カーで告知をボンボン流してね。倍賞千恵子さん、倍賞美津子さんが吹き込んだ当時のテープあったら、すごいですよ」
さて、大田区体育館の入り口には豪華な花輪がズラリと並び、旗揚げ戦らしく華やかな雰囲気。リングサイドには倍賞美津子と倍賞千恵子、坂本九、柏木由紀子夫妻が顔を見せた。メインイベントで師匠の〝神様〟カール・ゴッチと対決する猪木に、倍賞千恵子と柏木由紀子が花束を贈呈した。エプロンサイドに藤波、後にミスター・ポーゴとしてブレークする新弟子、関川哲夫の顔も見られる(写真)。
「団体がやっと船出した。自分も新日本プロレスで初めての試合っていうのもあったし、とにかく猪木さんがメインイベントの時は無事に終わってくれと。いろんなものが入り交じってた。だから倍賞さんとか、芸能人の方とかまったく頭の中になかったね」
藤波は第1試合で初の外国人レスラー、エル・フリオッソと対戦した。結果は4分20秒、片エビ固めで敗れた。
「僕は日本プロレスでデビューしてたんで、試合に対する心配は何もなかった。だけど、初めての外人選手(との対戦)ということでやっぱり多少、緊張感はあったね」
当時のマスコミは、老舗団体の日本プロレス一色の報道。東スポも〝木戸、藤波の若手は、まだまだ外国勢と戦うには力不足。はっきり言って試合にならない〟と書いた。
「でしょうね。今はみんな当たり前に思っちゃうんだろうけど、当時、紙面に自分が掲載されるっていうのは、特別感があった。〝あっ、オレの名前が載ってる、オレの記事が載ってる〟とかホントにすごいことだった。最初の日プロでのデビュー戦なんか記事にもならなかったけど、勝敗の結果、それだけでも切り抜いて、田舎に送ったことがありますよ」
藤波は「オープニング・シリーズ第3弾」中の6月27日、長野・諏訪大会でリック・ニールを回転エビ固めで破り、外国人レスラーから初勝利を挙げた。
「その選手はオレより年配の方でね。うれしかったですよ」
藤波は06年(平成18年)6月、新日本を退団した。旗揚げメンバーから社長まで務めた藤波の退団は驚きだった。自身では退団することは想像していただろうか。
「想像してません。僕は新日本プロレスと将来ともにするっていう覚悟でいた。猪木さんが新日本プロレスを手放した時(05年11月)が、自分の中で糸が切れたって感じだったね。自分の中で〝猪木さんがいない新日本プロレスにずっと〟っていう気持ちがなくなった。でもね、いまでも記念大会に呼んでもらえるのはうれしいよね」
藤波はそう言うと、次回の記念大会参戦に向け、ちからこぶを作った(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













