【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】「正直、就職で有利になると思ったから、プロ入りしたんだ」

 高校時代のダニー本人が聞いたら、まさか自分のことを言っているとは思わなかっただろう。アリゾナ州の最優秀選手に選ばれ、いわゆる〝スーパー・プロスペクト(超期待の星)〟だったダニー。ドジャースからのドラフト指名を断って進学し、華々しい大学野球生活を過ごした後にプロ入りするはずだった。

 ところが、実際はヒジの手術を含む3度のケガと闘う4年間。大学も転々とした。

「もう何度も野球を辞めようとしたんだ。ドラフトされた後も、履歴書に〝プロ野球選手でした〟と書けるからという理由で続けた部分が大きかった。それが13年たって今も野球をやっているから、妻とよく笑い合うよ。『覚えてる!? 1年やったら辞めるって言ってたのにね』って。本当にまさかだよね」

「最後のチャンス」という思いでドジャー・スタジアムのショーケースに参加したことが、彼の転機になったと思われるかもしれない。実際、ダニーの前後の投手が球速98マイル(158キロ)の速球を投げた中、ダニーの球速は83マイル(134キロ)だった。近年、球速のインフレが進むメジャーの基準とかけ離れていたにもかかわらず、ドジャースがセカンドチャンスを与えたのもまた事実だ。

 でも、ダニーにとって最も大事だったのは学生同士で出会い、当時すでに婚約者だった現妻ローレンさんの存在だ。

「結婚するなら妻を養うように」。医師である父のポールさんは、息子がどんなことをやっても反対しなかったが、1つだけこだわった教えをダニーも自然と受け継いでいた。

 当時のマイナーリーグは、シーズン開催中の5か月間だけ月数千ドルの給料が出る仕組みで、家賃補助などもなくアスリートとして1人暮らしもままならない金額。もう何年もケガ続きで、現実を嫌と言うほど見ている上「キャンプ初日も自分は84マイル(135キロ)しか出ないのに、みんな95~97マイル(153~156キロ)。これはどう考えても厳しいでしょ」。少しでもいい仕事に就き、彼女を養うためにプレーする。ダニーはそう割り切った。

「不思議なもので、上に上がり続けたんだよね。2014年のシーズン終わりに2Aからいきなりメジャーデビューすることに。プロ入りからわずか1年半で球速も92マイル(148キロ)まで伸びていた。僕にとっては家族を養うことが最大の目標だから、メジャーに昇格し、初めてそれができるとなった瞬間は本当にうれしかった。野球でできるなら、頑張ってみようって気持ちに変わったんだ」

 実際のダニーのキャリアは決して平たんではない。昇格と降格、解雇、マイナー契約、ケガを繰り返し、ようやくメジャー契約を結べたのもここ2年ほどの話だ。それでも何度も「辞めよう」と思いながら、そのたびに何とか踏みとどまり、気づけば11年。2人の息子も生まれた。

「投手としての自分がどんな存在なのか、この11年で学んだ。自分の強みはボールをうまく回転させられること。自分らしい球をプレートの真ん中に投げられたら、あとは天に任せるしかない」

 2月に入り、いよいよスプリングトレーニングが近づいてきた。私たちメディアも気持ちの準備を始める季節だ。現時点では、ダニーはまだフリーエージェント。果たして今年も、彼に会えるだろうか。メジャーの春は、いつもさまざまな思いが交錯する。

 ☆ダニエル・コローン 1989年10月26日生まれ、ミズーリ州セントルイス出身。ドジャースから2008年のMLBドラフト17巡目(全体517位)で指名されたものの契約せず、12年の25巡目(同776位)で入団。14年9月にデビュー以降、リリーフで活躍。アスレチックス、ツインズ、オリオールズ、ツインズ、レンジャーズを渡り歩き、23年は61試合(51回1/3)に登板して58奪三振、防御率2・81でオリオールズの地区優勝に貢献。178センチ、86キロ。