堺正章らが所属する芸能事務所「ケイダッシュ」の川村龍夫会長が亡くなったことが30日、分かった。同事務所が「弊社代表取締役会長川村龍夫が出張先にて逝去いたしましたことを、謹んでご報告申し上げます」と発表した。84歳だった。
川村さんは立教大学在学中、高校の同級生だった鹿内孝に誘われてマネジャーとして芸能界入り。鹿内のバックバンドを務めていたブルー・コメッツのマネジメントを手掛けた。1993年にケイダッシュを設立。渡辺謙のハリウッド進出を支えるなど、芸能界に多大な功績を残した。2022年には日本と韓国で長きにわたって活躍した功績が認められ、「第4回アジアコンテンツアワード/Asia Contents Awards 2022」で生涯功労賞を受賞した。
川村さんは格闘技に造詣が深く、〝燃える闘魂〟こと故アントニオ猪木さん(享年79)の支援者としても知られる。猪木さんのマネジメント会社「猪木元気工場(IGF)」は、公式Xで「生前のアントニオ猪木とはお互い親交を深めた仲でございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます」などと、追悼コメントを発表した。
猪木さんが主宰したUFO(世界格闘技連盟)のエースだった、バルセロナ五輪柔道銀メダルの元暴走王・小川直也氏(57)は「猪木さんから独立するときに『川村さんを訪ねなさい』と言われ、それから猪木さんに代わっていろいろ面倒を見ていただいた。オレの大恩人です。今はものすごく悲しい」と訃報に声を落とした。
川村さんはUFOの社長も務めた。「オレはヒクソン・グレイシー戦を熱望していたんだけど、ヒクソン戦を実現させようと尽力していただいたんだ。格闘技が本当に大好きな方で、格闘技を広めようとテレビ局にも当たっていた」と元暴走王は振り返る。
UFOは02年8月8日に東京ドームで総合格闘技大会「UFO LEGEND」を開催したが、川村さんはプロデューサーとして協力した。同年6月の大会発表会見にも、猪木さんとともに出席。体調不良で会見を欠席した小川氏に代わって、川村さんが「全てガチンコでいきたい」と表明して話題になった。
「ガチンコ」は当時、角界や格闘界の隠語だった。小川氏は「ガチンコという言葉をはやらせた〝功労者〟でしょう。プロレス、格闘技はすべて『真剣勝負』という意味で表現されたと思う。猪木さんも『プロレスも格闘技も一緒』という考えだったから」と話した上で「オレのお父さんみたいな存在だった。心からご冥福をお祈りします」と大恩人を悼んでいた。













