バルセロナ五輪柔道銀メダルでプロレスラーとしても活躍した〝元暴走王〟小川直也氏(57)が、自身のYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」を更新。総合格闘技(MMA)イベント・PRIDE初参戦時に起こした「当日出ない騒動」の真相を明かした。

 1997年4月にプロに転向した小川氏は、新日本プロレスのリングに上がっていたが、師匠の故アントニオ猪木さんの方針でMMA進出の機会をうかがった。PRIDEは同年10月に高田延彦vsヒクソン・グレイシーをメインに据えてスタート。小川氏は99年7月の「PRIDE.6」(横浜アリーナ)のゲーリー・グッドリッジ戦で、初めて本格的なMMAマッチに臨んだ。

 新日本のリングでは、同年1月4日東京ドーム大会の橋本真也戦で〝1・4事変〟を起こした。この時点では新日本から事実上追放になっていたこともあって、「結局のところ、猪木さんの弟子になっているから、猪木さんが〝こっち〟と行ったらついていくしかない」と、PRIDE初参戦を決意したという。

 試合は、2Rに小川が元腕相撲世界王者にアームロックを決めて快勝。一方で舞台裏では大紛糾した。当時の報道によると、試合前に「小川欠場」の情報が流れた。試合当日になっても「出る、出ないの話」になってモメていたのだが、その真相を問われると小川氏は「お金の話だよ。お金もらえないのに、やってられないじゃんって話だ」とあっさり告白。小川氏と主催者側でファイトマネーの金額をめぐり、試合当日まで交渉が続いていたのだという。

 小川氏には〝暴走王〟とともに〝銭ゲバ〟というありがたくないニックネームもある。交渉の場ではトラブルメーカーのイメージがあったが、「オレのことを銭ゲバ、銭ゲバというけど、銭ゲバじゃないんだよ。オレはサラリーマン上がりだから、契約はちゃんとする。契約書通り、前金でもらえたら(試合をするし)、もらえなかったらやらなくてもいいわけじゃんって、考えたから」と持論を述べた。

 さらに現在の格闘技界でも当日に契約を交わすことは珍しくないと聞くと、「まだその時代続いてんの? 契約書をちゃんと交わすとなったのははっきり言って、オレがやったからだぜ。今の格闘技界にも言いたい。みんなあいまいにしていた部分を、しっかりさせたかったら」と主張。その上で世間的には「当たり前の話」とし、「猪木さんから(交渉の)ノウハウを習っている」と師匠の教えに従ったまでだという。

 小川氏は「オレはモメた覚えたはない。常識の通りに動いただけ。もっと前から(契約を)できたのに、『小川に首振るのイヤだな』と思ってたんじゃない? こっちはノラリクラリじゃなく、ワンプライス出してるんだし。猪木軍団で決めてるわけじゃん」と、きっぱり。「プロ」なら当然の考えだといって譲らなかった。

 なお小川氏によると、当時のPRIDE側の交渉者は現RIZINの榊原信行CEOではなかったとのことで、「バラさんはそういう人ではない」と強調していた。