バルセロナ五輪柔道銀メダルでプロレスラーとしても活躍した〝元暴走王〟小川直也氏(57)が、自身のYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」を更新。〝燃える闘魂〟故アントニオ猪木さん(享年79)に弟子入りした詳細な経緯を明かした。

 元暴走王が猪木さんと初めて会ったのは、1988年12月のこと。ジョージア・トビリシで開催された柔道の世界学生選手権に出場したが、猪木さんは、旧ソ連の柔道五輪金メダルのショータ・チョチョシビリとの交渉のため同地に到着していた。そこで、当時の新日本プロレス社長で、明治大柔道部の先輩にあたる坂口征二氏が、「後輩が来ているからメシでも連れていってくれませんか?」と猪木さんに頼んだことがきっかけだという。
 
 猪木さんは小川氏の試合も、応援に来てくれた上に「試合の後、東スポに連れられ猪木さんの滞在するホテルに行った。オレたち〝金曜8時の世代〟に、猪木さんに会えると言われたから、行っちゃったのよ。そのとき猪木さんが『坂口、あいついいじゃねえか』って話になって」と、初めてプロ入りのスカウトを受けたという。

 小川氏は92年バルセロナ五輪で金メダル獲得を目指していたことから「もうちょっと待ってください。プロはまだ早いです」と、その際には断った。バルセロナ五輪は「全然ままならなくて」と言いつつ銀メダルだったが、その際も猪木さんは小川氏のスカウトを要望した。しかしこのときは坂口氏が、小川氏が96年アトランタ五輪も出場する意志があることを理由にストップ。それでも小川氏は、坂口氏に呼ばれて新日本の後楽園大会に顔を出し、猪木さんにもあいさつしていたという。

 アトランタ五輪は3位決定戦で敗れて5位になり、柔道引退を決意した。当時の小川氏はすでに28歳。猪木さんは坂口氏に「プロとして活躍する時間はないから、もう声をかけていいか?」と打診。坂口氏も承諾し、小川氏と対面する場面が設けられた。ところが指定された場所に行くと、当時のマネジャーから「すみません、猪木に急用ができまして。今からロスに行っていただけませんか?」と、何と突然、米ロサンゼルスに対面場所を変更されたという。

 まさに一寸先はハプニング…。小川氏は「すげえ世界だなと、プロは。で、ロスいったワケ」と苦笑い。猪木さん側からは渡航費として100万円の札束を受け取っており、「会社(当時所属していたJRA)にナイショで有給使って、行った」。ロスでは猪木さんに「会社からはこう言われています。自分の中ではもうちょっと違うものを視野に入れて活動したいなと思っています」と、今後の方向性を相談した。

 当時はグレイシー柔術が台頭して、UFCの草創期。猪木さんからプロレスと格闘技について説明されたが、柔道経験しかない小川氏はなかなか理解できない。猪木さんは何が言いたかったのか。小川氏は「プロレスが一番強いんだ。俺はそれを証明してきた。プロレスラーとしてアントニオ猪木の元でやってほしい」と受け取り、「オレの中ではプロレスはアントニオ猪木だったから、猪木さんの思想が一番いいと思うしかなかった」と、転向を決意したという。

 猪木さんは実に8年もかけて、柔道世界王者をプロレスの世界に導いたということだ。